01-1.現在~過去

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 後でわかったのだが、智里が俊樹とアーテルとのやり取りが確認できなくなったのは、CCから故意に外されていたからだ。やり取りはその後も続いていた。智里はCCから外れていたが、由希美は入ったままだった。  結局のところ、アーテルと仕事ができるきっかけを作った智里だけが蚊帳の外にされた。それだけではなく、アーテルを引っ張り出したことは、俊樹の功績にされていた。  そして追い打ちをかけるように別れを切り出されたのは、原画展が無事終了したその日だった。智里の嫌な予感は的中していた。俊樹はすっかり由希美に心を移していたのだ。  由希美は智里がずっと面倒を見てきたのだが、思えば最初から俊樹を気に入っているようだった。だが、まさか奪われるなんて思ってもみなかった。  それ以降、智里はすっかり人間不信になってしまった。また裏切られるのではないかと、自分一人で仕事を抱え込むようになり、社内の人間と接する時には常に息苦しさを感じるようになった。  自宅だけが心を解放できる場所になった。しかし、夜は満足に眠れない。寝不足のまま出社し、ハードな仕事をこなす。  そんなこんなで、ある日ついに倒れてしまった。寝不足と栄養失調、それに過労が祟ったのだ。眠れない上、ろくに食事も取れなくなっていた。  ようやく普通に動けるくらいまで回復したはよかったが、今度は、出社しようとすると吐き気や眩暈、過呼吸の発作が起こるようになった。  心が悲鳴をあげている。それを自覚した智里は、会社を辞めようと思った。   決心して部長に退職を願い出て、それが通って人事に赴いた時、対応したのは数少ない智里の同期だった。彼女はどうして智里がこんな風になってしまったのか、おおよそ把握していた。その上で、彼女はこう言った。 「休職にしない?」 「え?」  智里は彼女の言葉に呆気に取られる。  休職とは、会社に籍を置いたまま、一定期間仕事から離れることだ。退職とは全然違う。  戸惑う智里に、彼女はこう言い募った。 「咲坂さんの仕事は、社内はもちろん、取引先からの評判もいい。そんな人が辞めるなんて勿体ない。それに、咲坂さんはこの仕事が好きでしょう?」 「……」 「この仕事って、長く続くかあっという間に辞めるか、そのどっちかよね。咲坂さんは五年続いてるし、着実にキャリアを積み重ねている。好きじゃなかったら五年も続けてないでしょう?」 「でも……」 「もし戻っても、今度は木下さんと関わらない部署に異動できるよう上に言うつもりよ。もう二度と、あんなクズにいいとこ取りはさせない。約束するわ」 「クズって……」  彼女の言いように、思わず笑ってしまった。それに、なんと頼もしいことを言ってくれるのか。  そういえば、彼女は在籍年数でいえば若輩になるが、社内でも一目置かれている存在だった。管理部門のトップになるだろうとまで噂されている。そんな人に認められていたのだと思うと、涙が出そうになる。  実はこれも後から知ったことなのだが、俊樹はこれまでも自分より立場の弱い人間の仕事を横取りしたり、自分の手柄にしていたらしい。彼女はそれを知っているからこそ、もう近寄らせないと言ったのだ。  本当はクビにしたいとまで言うが、さすがにそれは難しい。会社の中で平和に生きていくためには、そんな人間には極力近寄らない、もしくは上に立つ、そうやって自分を守るしかない。  この件を知った時もショックだったが、何より自分の人の見る目のなさに呆れた。これまで俊樹の何を見ていたのだろう? 「辞めるのは簡単だわ。だから、ゆっくりと休んでその間に考えてほしいの。それで、どうしても無理なら辞めればいい」  そうは言っても、すでに部長には退職すると話してある。  しかし、彼女は部長に進言したらしい。せっかく育った優秀な社員をそんなに簡単に手放していいのかと。躊躇する部長に、彼女は自分が智里に話をすると請け負った。それで、部長は承諾したらしい。  ここまでくると、さすがというか、やはり将来の管理部門のトップは彼女だろうと思わざるをえない。 「絶対に戻らなきゃいけないなんて思う必要はないわ。咲坂さんが戻りたいと思った時に戻ってきてくれたらいい。ゆっくり考えて、それでも退職したいと思うなら、その時はちゃんとその意思を尊重するから」 「……ありがとう」  そういったわけで、智里は会社を休職することになったのだった。
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