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01-2.アクシデント
気付くと、もうすぐ目的地に着くという時分になっていた。窓の外は都会とは打って変わり、のどかな風景が広がっている。
智里の故郷は、埼玉県の北西部に位置する山々に囲まれた町だ。住宅が密集している都会とは違い、ゆったりとした間隔で家が建っており、田んぼや畑も多い。
池袋駅から特急に乗っても、一時間以上かかる場所。しかし自然が多く、住人も穏やかな人間が多い。ゆっくりと心を休めるには、今住んでいる場所より実家に戻った方がいいと思った。
ようやく最寄り駅に到着し、外に出る。空気の匂いも違っているように感じる。
智里は空を見上げ、深呼吸をした。そしてキャリーバッグの取っ手を握り、実家に向かって歩き出す。
両親があまりにも帰ってこいとうるさいから、一度ゆっくり休養するために里帰りをする。とりあえずの理由はこれだ。これまで夏季休暇や年末年始休暇もろくに取れなかったので、その代わりの長期休暇をもらったと言った。
イベントというのは、世間一般の人々が長期に休める時期に集中する。だから、そういった休みに実家に戻れなかったのは本当だ。
実家では、久しぶりの智里の帰省を楽しみにしているようだった。智里には兄がいるのだが、兄はすでに結婚して家を出ている。今は両親だけなので、やはり寂しいのだろう。
駅まで迎えに行こうかと言われたが、智里は断った。両親は共働きだし、わざわざ休んでまで迎えに来る必要はない。実家の鍵は持っているし、のんびり歩くと言った。
といえど、キャリーバッグを引きながら歩くにしては結構な距離だ。歩き始めて十分もすると、駅前でタクシーに乗ればよかったと後悔した。
「重い……」
どのくらいの期間をここで過ごすかまだ決めていないが、とりあえず必要だと思われるものは何でもかんでも詰め込んだ。よく考えれば、こんなに詰め込む必要はなかった。足りないものは買えばいいのだ。そんなことにも頭が回らなかった。
どこまでも続くまっすぐな道のりを、智里は息を切らしながら歩いていく。すると、遥か遠くの方から何かがやって来るのが見えた。
「なに……?」
「わーーーーーっ!」
人が叫んでいる。
何事かと思っているうちに、こちらに向かって突進してくるものが見えた。ものすごいスピードで駆けてきて、あっという間に距離が詰まる。
あ、と思った時には遅かった。智里はその物体に体当たりされ、地面に倒れてしまった。
しばらくすると飼い主がゼーゼーを息を切らしながら駆け寄ってくる。そして智里を見るなりパニックを起こした。
「わああああっ! すみません、すみません! 大丈夫ですかっ?」
「痛っ……」
「こら! 離れろ! 離れなさい! この人が潰れちゃうだろう!?」
智里は犬にのしかかられていた。
飼い主はあわあわしながら犬を智里から離そうとするが、犬の方はちっとも言うことを聞かない。だが、人に慣れていないわけではないだろう。むしろ慣れすぎている。その犬は喜びを表現するようにハッハッと息を吐きながら、智里の顔を舐めまわしているのだから。
「ううううう、なんで僕の言うことは聞いてくれないんだよぉ……」
飼い主の情けない声を聞いて、智里はつい笑ってしまいそうになったが、ここで笑うとますます彼が気の毒になってくる。
智里は手を伸ばし、犬の顎の下をワシャワシャと撫でる。
「こら、ちゃんとご主人様の言うことを聞かなきゃだめでしょう?」
犬の顔を見て、智里は怒った顔をする。すると、犬はしゅんと項垂れ、智里の上からどいて、すぐ側でおすわりをした。かなり賢い。よく躾けられた犬だ。
顔を見た時にわかったが、犬はシェパードだった。なるほど、これだけ体が大きいと、智里などひっくり返って当然である。
「すみません、すみません!」
「いえいえ」
「あの、お怪我はっ?」
「あぁ、たいしたことは……」
「あああああ! 血が出てる!」
突進されてひっくり返ったのだから、あちこち擦り傷はある。しかし、そんな大袈裟に叫ぶほどでもないと苦笑いしていると、飼い主の男がそっと手を差し伸べてきた。
「立てますか?」
「あ、はい。ありがとうございます」
その手を取って立ち上がる。特に問題はないようだ。擦り傷だけで、捻ったということもなさそうだ。
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