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「本当にすみませんでした!」
男は深々と頭を下げる。ここまで必死に謝られると、逆に恐縮してしまう。
シェパードは大きく力も強い。ふとした時に飼い主の手からリードが離れてしまったのだろう。自由になれば、犬は思い切り駆けたくなる。仕方がない。
「大丈夫ですよ。このワンちゃんも反省してるみたいですし」
シェパードはまだおすわりしたままだ。智里をじっと見つめている。
智里はシェパードと目を合わせ、再び顎の下をワシャワシャと撫でた。犬は嬉しそうに尻尾を左右に振っている。
「犬、飼われているんですか?」
「いえ。でも友人が飼っていて、よく触らせてもらってたんです。それに、こうすれば喜ぶんじゃないかなってことが、なんとなくわかるんですよね」
「すごいですね!」
「なんとなくなんで、本当に喜んでるかはわかりませんよ?」
昔から、動物には好かれる質だった。何も考えなくても動物の方から寄ってくるし、気性の荒い動物も、智里の前ではおとなしかった。
その動物が何をしてほしいのか、何をされると嫌なのか、誰に教えてもらうでもなく智里にはわかるのだ。それは、動物の気持ちがわかるということに近いかもしれない。
「あの、傷の手当をさせていただけませんか?」
「え?」
男は眉尻を下げながら、もう一度頭を下げる。真面目な性格なのだろう。智里は気にしないが、ここで彼の言うことを突っぱねても、かえって気に病ませてしまう。
そう思った智里は、コクリと頷く。どうせ両親が家に戻ってくるのは夕方以降だ。まだ昼前だし、少しくらい寄り道しても問題ない。
「本当に大丈夫ですけど、そこまでおっしゃるなら」
「ありがとうございます!」
男は顔を上げ、ぱぁっと表情をほころばせる。それにつられるように、シェパードもブンブンと尻尾を振る。こちらの彼か彼女も喜んでいるようだ。
「家はもう少し先なんですけど、歩けますか?」
「大丈夫です」
「あ、よかったら荷物は僕が持ちますよ」
「いえいえ。この子のリードを持ってあげなくちゃ」
智里がそう言ってリードを拾い上げた時、シェパードは智里の側にピタリと寄りそった。
「え……」
「あはははは! こいつはあなたに持ってもらいたいみたいです。お願いしてもいいですか?」
「いえ、あの……はい」
「それじゃ、荷物はこっちへ」
「重いですよ?」
「大丈夫ですよ。こちらへはご旅行で?」
「いえ、里帰りなんです」
「そうだったんですね」
そんな会話を交わしながら、智里は男の歩き出す方向についていく。シェパードは智里を気にしながら、そしてスピードを合わせるようにして歩いていた。
「なんでさっきは突進してきたの?」
これほどきちんと躾けられているなら、さっきのようなことなど普通はありえない。不思議に思って尋ねてはみるが、シェパードは僅かに首を傾げただけ。犬に理由が答えられるはずもない。
智里が苦笑していると、シェパードは真っ黒な鼻をヒクヒクと動かし、ほんの少し智里との距離を小さくしたのだった。
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