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「ニャーもワンワンもしゅきー!」
「ねー、可愛いねぇ」
「ああああああ! さゆも桜もみんなかわいいぃぃぃぃぃ!」
智里が大騒ぎしている山口一家を見て笑っていると、不意に頬に口づけられた。
「匠!」
「あそこまで騒ぐ山口には呆れるしかないが、俺も人のことは言えなくなるかもな」
「え……」
匠が智里の腹に手を当てる。匠の手の温もりが伝わってきて、智里は心から安堵する。全身丸ごと守られているような気がするのだ。子どもも一緒に。
「ここに、俺たちの大切な命が宿っている。……何があっても守りたいと思うよ」
「うん」
「智里に似てるといい」
「匠の方がいいよ。男の子でも女の子でも、きっとめちゃくちゃ可愛いよ! だって、子どもの頃の匠ってほんと天使みたいだったもん」
そう言って笑うと、更にぎゅうと抱きしめられた。
「俺には、お前の方が天使に見えてた」
「え、いや、それは……」
「いつも笑顔で、人付き合いの下手な俺を皆の輪の中に連れて行ってくれた。いつも庇って、守って、ずっと側にいてくれた。あの頃の俺は、お前を神様みたいに思ってたよ、智里」
だって、匠は本当に天から降りてきた天使かと思うほどに可愛らしかったのだ。
この存在は絶対に汚してはならない。何が何でも守らなくてはいけない。幼心にそんな使命感に燃えていた。
匠の愛らしさに惹かれて近づいてくる者ばかりではなかった。それを妬む者や、貶めようとする者もいた。小さな子どもの世界にも、そういった人間関係は存在していたのだ。そんなもの全てから、匠を守りたかった。ただそれだけだ。
「神様なんて、大袈裟」
「大袈裟じゃない」
匠は、まるで眩しいものでも見るかのように目を細める。
「だから、この先は俺が守るから」
「うん」
「お前も、ちゃんと守られろよ」
「……でも、この子は私も一緒に守るからね」
「そうだな」
匠が柔く笑み、智里のこめかみに唇を押し当てる。
幸せだ。今、世界中の誰よりも幸せだと思い上がってしまうほど、幸せだった。
だがその時──。
「ちーちゃ、たー、ちゅー!」
「わああああああっ!」
智里は慌てふためくが、匠は落ち着き払い、桜に向かってニコリと微笑む。すると、桜の頬がふわっと優しい朱に染まり、桜は目を大きく見開いて匠を食い入るように見つめた。
「こら、匠! うちの娘を誑かすなっ!」
喚く山口を全く無視し、桜は呆けながら呟く。
「たー、おーじ」
「そうだねー、黒君は王子様みたいにイケメンだねぇ」
沙由美に同意されると、桜はまたニコニコとご機嫌になる。一方、山口は泣きそうになっていた。
「さゆ! 煽らないで!」
「桜、あの二人、ちゅーしてたの?」
「うん!」
桜の言葉を聞いた途端、智里は土下座する勢いで謝り倒す。桜がいたことをすっかり忘れていた。
「きゃああああ、ごめん! 子どもがいる前でっ!」
「これくらい、パパとママもしてるよな?」
「へ……?」
匠が桜にそう尋ねるのを聞き、智里は目を丸くする。
子どもになんてことを、と言うより前に、桜は無邪気な笑顔でうん、と頷いた。
智里が沙由美と山口を軽く睨む。
「沙由美! 山ちゃん!」
「軽いちゅーくらい平気よぉ。両親仲よしって見せつけるのは、悪いことじゃないでしょ?」
「パパ、ママのことしゅき! ママもパパしゅき! しゅきしゅきー」
何度もしゅきと繰り返す桜を見ているうちに、まぁいいかと思えてきた。
確かに、両親の仲の良さを普段から目にすることは悪いことではない。むしろいいことだろう。──と言っても、限度があるだろうが。
「黒君に負けるのも悔しいから、私もしちゃおー、ちゅーっ」
「沙由美!」
「きゃーっ」
沙由美はどさくさにまぎれ、山口の頬にキスを贈る。
山口はおおいに照れまくり、桜はきゃーきゃーとはしゃいでいる。その桜の声に、リアンも尻尾をブンブン振って喜んでいた。猫たちはあまりの賑やかさに別の部屋に引っ込んでしまったようだ。コハクはいうと、マイペースに床に寝そべっていた。
今や、これが黒須家の日常だ。
「これにあと一人加わったら、ますます賑やかになりそうだね」
智里が笑うと、匠も優しい笑みを返す。
「昔なら、俺も猫たちみたいに逃げただろうけど、今はそれが楽しみだ」
窓から爽やかな風が吹き込み、カーテンがふわりと舞う。窓ガラスから差し込む陽射しが部屋を更に明るく照らし、部屋の中では楽しげな笑い声と笑顔に満ち溢れていた。
再び、大切な命にそっと触れる。
「早くあなたに会いたいよ」
智里は小さく呟き、長く想いながらも心の隅に置き去りにしていた初恋の相手を見上げる。
──初恋心忘るべからず。
もう、決して忘れたりしない。
身を屈め、優しい視線で顔を覗き込んでくる誰よりも大切な夫を見つめ、智里はその頬にそっと唇を寄せるのだった。
了
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