番外編:由来

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 *  匠は萩尾をリビングに通す。萩尾が入ってきた途端、さっきまでそこにいた猫たちは、別部屋へ引っ込んでしまった。 「あ~……。いつになったら慣れてくれるんだ……」  相変わらず、萩尾は黒須家のもふもふたちに避けられている。  萩尾がガクリと項垂れていると、唯一近寄ってきたのはリアンだ。萩尾を見上げ、ウォフッと小さな声で吠えた。 「リアン~~~~!」  萩尾が感激してリアンを抱きしめようとするが、一歩早くリアンは逃げる。だが、完全に遠くに行くわけではなく、かろうじて腕が届かない距離まで逃げ、萩尾を眺めていた。……萩尾で遊んでいる。 「くそ、リアンに遊ばれてる!」 「リアン、人間の男を手玉に取るなんてやるな」 「リアンだけじゃないですよ! ここん家の動物たち全員に、手玉に取られまくってますよ!」  自慢にもならないことを叫び、萩尾はしおしおとソファに腰掛けた。  その様子をリビングから見ていた智里は、笑いを堪えるのに必死だ。 「あ! 智里さんが笑ってる!」 「バレちゃいましたか」  智里はちょうど淹れ終わったコーヒーを持って、リビングへ向かう。 「萩尾さん、智里のこと前は苗字の方で呼んでたのに、最近はなんで名前で呼んでるんですか?」  匠が少々不機嫌な顔になる。  そうなのだ。  萩尾は少し前から智里のことを名前の方で呼ぶようになっている。  聞かれた萩尾はきょとんとし、さも当然のように言った。 「え? だって、お二人はご結婚されたじゃないですか。同じ苗字だから、区別がつかないでしょう?」 「いやいやいや、今更だし、そもそも萩尾さんは俺のこと、向坂の方で呼びますよね?」 「まぁそうですけど」 「だったら、黒須さんでいいじゃないですか!」  智里はコーヒーとお茶菓子をテーブルに置きながら、クスクスと笑う。  智里は全く気にしないが、どうやら匠は、萩尾が智里を名前で呼ぶことをあまりよしとしていないらしい。  それを不思議に思って聞いてみると、子どものような答えが返ってきた。 『他の男が智里を名前で呼ぶのは嫌だ』  それなら、山口はどうなるのだろうか。  それも聞いてみると、山口も本当は嫌なのだが、これはもう昔からなので仕方がないと割り切っているらしい。  そんな可愛らしい嫉妬とも言えるか言えないかのような理由に、思わずきゅんとしてしまったことは内緒だ。  萩尾も薄々それがわかっているようで、何度指摘されても「智里さん」と呼ぶ。何気に萩尾もしたたかである。  そんなやり取りの後、二人は本格的に仕事の話を始めた。  智里は邪魔にならないように、リビングに出ていたリアンとコハクを連れて、猫たちがいる別部屋に行く。 「お前たちも、そろそろ萩尾さんに慣れてあげてよ~」 「ナーア」  智里の言葉に、猫たちは気のない声をあげる。そして、智里の周りに集まって微睡み始めた。コハクとリアンも腰を下ろして目を瞑る。 「これが萩尾さんなら、幸せのあまり気絶しそう」  そんな萩尾を想像し、ププッと吹き出す。  しばらくそうやってのんびり寛いでいると、リビングのドアの開く音がした。 「え? 萩尾さん、もう帰るの?」  智里は慌てて別部屋からリビングに戻る。するとそこには、萩尾一人がいた。 「あれ?」 「あぁ、先生は二階に行かれました」 「そうだったんですね」 「すぐに修正できそうだということで、お願いしたんです」  すぐとはいえ、その間萩尾を一人にするのもなんだと思い、智里はそのままリビングに残ることにする。  萩尾は智里をマジマジと見つめ、フッと表情を和らげた。 「前からですけど、結婚してからも仲がよくて、幸せそうですね」  そう言われると照れてしまう。でも、とても嬉しい。  智里は照れ隠しに明るく笑いながら、それに応える。 「でも、同居の頃からあまり変わらないかも」 「そんなことないですよ。少なくとも、向坂先生は以前よりとても充実されていると思います」 「えぇ!?」  智里からすると、どこが変わったのかわからない。多少甘さは増した気もするが、同居していた頃からそれはあった。 「どういうところが?」 「なんだろう、満たされてるって感じですかね。性格も穏やかになったし、表情も豊かになって、柔らかくなった気がします」  以前はどんなだったんだと思わずにいられないが、良い印象に変わったのなら言うことはない。
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