番外編:由来

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「作家という面でも、締め切りは厳守されますし、以前から一緒に仕事しやすい人ではありました。でも、結婚してからの方がもっとやりやすくなりましたね。というか、執筆スピードが格段に上がったと思います。質の高い作品を早く書き上げてくださるのは、こちらとしてはもう万々歳というか、ありがたいというか」 「……それならよかったです」  仕事は順調なようで何よりだ。  その時、ふと思いつく。ペンネームのことだが、萩尾に聞いてみようか。  匠は一週間は教えてくれないようだし、一週間後も本当の由来を話してくれるかどうか。あんな風にはぐらかすのは、言いづらい何かがあるのだと直感した。  そうと決まれば早速とばかりに、智里は萩尾に尋ねる。 「萩尾さん、匠のペンネームの由来ってご存知ですか?」 「向坂先生の? いえ、先生から直接伺ったことはありませんが、なんとなくは察してます」 「え? そんなにわかりやすいんですか?」  萩尾の答えに吃驚仰天である。  萩尾はなんとなくわかっているのに、智里は全くわからない。……少し悔しい。  そんな気持ちを隠しながら、智里はじっと萩尾を見つめた。萩尾は智里の圧にたじたじとなっている。 「教えろ、と?」 「はい」  いいのかなぁ、などと独り言ちながら、萩尾は自分の考えを智里に披露した。 「智里さんですよ」 「……は?」  全く意味がわからず、智里は眉間に皺を寄せる。  萩尾は苦笑しながら後を続けた。 「まぁ、智里さんがわからないのも無理はないと思います。あのですね、先生のペンネームは、智里さんへの想いがこもっているというか……智里さんそのものなんですよ」 「???」  ますます何を言っているのかわからない。  「向坂智」が、智里そのもの?  首を傾げる智里に、萩尾は説明していく。 「まず、名前はわかりやすいですよね。「智」は、智里さんから一文字拝借されているんだと思います」 「なるほど」  それはわかった。問題は苗字の方だ。 「それじゃ「向坂」は? 私は咲坂ですけど、坂しか合ってませんよ?」  萩尾は笑いながら、首を横に振った。 「いえいえ、そのままですよ」 「は?」 「向坂は「こうさか」としか読めませんか?」 「え……」  智里の動きがピタリと止まる。  「向坂」、匠はこの文字を「こうさか」と読ませている。だが、別の読み方もあるのだ。 「え? え?」 「わかったみたいですね」 「えぇーーーーっ!」  「向坂」は「さきさか」とも読める。 「咲坂の字を変えただけ、読み方もそのままだとあからさまだから、別の読み方をさせたってことですか?」 「だと、僕は思っています」 「……」  一番身近にいたのが智里だから、という考え方もできる。匠の名付けは単純だ。だが──。 「智里さん、顔、真っ赤ですよ?」  萩尾がにんまりと笑っていた。  智里は慌てて顔を俯け、両手で頬を押さえる。
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