第5話 突然の別れ

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第5話 突然の別れ

 あの(ひと)が死んだ。  遺影のあの女は微笑んでいる。  あの女はいつもどこか寂しそうにな顔をしていた。  自分のことはあまり話さないが、僕のことは聞きたがった。  身寄りがないことや大学で友だちがいないことを話すと、あの女はいろいろなアドバイスをしてくれた。  そのお陰で、大学で何人かの知り合いができた。  知り合いができると、なんだか大学へ行くのも楽しくなってくる。  あの女は月一度会うたびに10万円をくれた。  僕が多いと言うと、ご主人のお金ではなく、結婚する時に実家からもらったものだから気にすることはないと言う。  あの女はとても優しい人だった。  ベッドの中でも。  僕はあの女にだんだん夢中になっていた。  祭壇の前には、いかにも社長という感じの恰幅のいい50ぐらいの男が立っている。  あの女が死んだのはこの男のせいだ。  妻を亡くして悲しんでいるような殊勝な顔をして立っているが、この男は悲しんでなどいない。  あの女の体にはアザがあった。  どうしたのか聞くと、「転んでできたの」と言っていた。  だが、どういう転び方をすればお腹や内腿にアザができるというのだろう。  この男があの女に暴力を振るっていたんだ。 「一緒に暮らそう」  と、あの女に言ったことがある。  でも、あの女は首を横に振り、 「私は贅沢に慣れすぎているの」  と、寂しそうに笑った。  僕は一度だけあの女の跡をつけたことがある。  あの女の家は花が咲き乱れる庭のある大邸宅だった。  僕ではあんな贅沢をさせらない。  この男があの女にしたことはそれだけではない。  あの女は妊娠していた。  僕は避妊具を使っていなかったので、自分の子かと思ったが、あの女は「主人の子よ。女は妊娠したときに誰の子か分かるの」  と、言っていた。  僕は男だからあの女の言っていることが本当かどうか分からない。  だから、僕たちは別れた。  半年ほど経って、どうしてもあの女のことが忘れられず、家に行ったとき、近所の人からあの女が亡くなったことを聞いた。  子宮外妊娠で、もともと体が弱かったので周りは止めたが、あの女は言うことを聞かず、出産の途中で子どもと共に亡くなったと。  あまり自分のことを話さないあの女だったが、一度だけ独り言のように言ったことがある。 「主人には、愛人がいて、その愛人との間には子どもがいるの。認知までしてる」  だから、あの女は無理してでも子どもを産もうとしたに違いない。  この男にあの女は肉体的にも精神的にも追い込まれて死んだんだ。  あの女はこいつに殺されたも同然だ。  僕は思わず握り拳を作った。  殴りかかろうと思ったが、そんなことをしてもあの女は喜ばないだろう。  僕はグッと堪えて頭を下げてあの女の家を出た。  それから三日間、何も食べず大学にもアルバイトにも行かずに家でボーっと寝て過ごした。  ドンドン。  ノックをする音でドアを開けると、郵便局の人が立っていた。 「書留です」  封筒には見覚えのない弁護士事務所の名前が書いてあった。僕は首を捻りながら封を開けた。  中には、自分が死んだらこの封書を送るようにとあの女から頼まれていたというようなことが書いてある弁護士事務所の文書と一通の封筒がはいっている。  その封筒を開けると、小切手と一枚の紙が入っていた。  小切手には、僕が大学を卒業するまでの学費と生活費が十分賄えるだけの  金額が書かれていた。  紙には子どもの名前という表題が書かれている。  そして、その名前には……。  僕の名前の一字が入っていた。  その紙を胸に抱きしめて、僕は大声を上げて泣いた。
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