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初めての恋
和泉は思わず目を擦った。
両掌に載ってしまいそうなくらい小さな、ふわふわした不思議な生き物が草むらをぴょんぴょん飛び跳ねていた。布を一枚だけ緩く巻きつけた姿の、まるで神話に出てくる天使か、おとぎ話の中の妖精みたいな……パステルピンクに淡く光る生き物。
夢でも見ているのかと思った。無理もない。昨日は一睡もしていないのだから。三年間想い続けたクラスメイトで親友の颯真にその想いを伝えようと、書いては消し、また書いては破り捨て、手紙をしたためていたのだ。
初めての恋、初めてのラブレター。
隣の小学校出身の颯真とは同じサッカー部だった。入部早々レギュラーとして活躍していた颯真に抱いた憧れが恋だと気づくのに、そう時間はかからなかった。
来月からは別々の高校に進学する。学校が違えば、このまま友達のままでいても、会うことすらままならなくなるだろう。それならばいっそ……と和泉は思う。当たって砕けるにしても、良いタイミングではなかろうか。
今時手書きのラブレターなんて流行らないだろうけど、トークアプリのメッセージで済ませられるほど簡単な想いではなかった。かといって面と向かって伝える勇気なんてあるはずもなく。
三年間の想いを綴った手紙。朝になって読み返してみて、そのあまりの重さに自分でも引いた。和泉はその手紙を勢いよく丸め、ゴミ箱に放った。
そして大きく深呼吸すると、最後の一枚となった便箋を取り出した。じっと睨みつけ、ゆっくりとペンを動かし始める。一文字一文字、丁寧に。たった一言『ずっと好きでした』とだけ。でも一晩かけたからこそ、その一言に全ての想いを込められた、気がした。
結局学校では渡せなかったラブレターは、まだ和泉の手の中にあった。人気者だった颯真。式の後はたくさんの女子生徒に囲まれていた。和泉は颯真に声をかけることさえできずに、そっと学校を後にしたのだった。
気がつくと、パステルピンクの生き物はふわふわと空中を漂いながら、和泉の目の前までやってきていた。
「ぼくはピース、春の精。みんなに春を届けるんだよ」
その生き物はピースと名乗った。ピースは教えてくれた。
春の精は大勢の仲間と一緒に暮らしていて、渡り鳥みたいに一斉に移動するのだ、と。行く先々で春を知らせるのが春の精の役目なのだ、と。
「ピースはどうして一人なの?」
和泉は聞いた。
「僕、少しだけ寄り道しちゃったの」
ピースは少しだけ寂しそうな顔をしたけれど、すぐに笑顔に戻った。
「でも大丈夫、春を目指せばいいんだ。僕たちの想いはいつだって繋がっているから」
ピースはくるくると回った。
「君もそうなの?」
「えっ?」
「君もはぐれちゃったの?」
唐突に聞かれて、和泉は戸惑った。
「俺は……どうなんだろうな。俺はただの意気地無しだ」
力なく笑う和泉にピースは言った。
「行きたい場所があるのなら、寄り道したって迷ったって大丈夫。遠回りしたっていいんだ。君もきっとたどり着けるよ」
にっこり笑ったピースがピンクの光を放った。ピースの触れるものが、次々と芽吹いていく。草も、花も、木も。ピースは和泉の頭にもそっと触れた。和泉の、もう諦めかけていた恋心が、再び芽吹いた。
「君にも春を届けるよ」
ピースが優しく笑った。和泉の心がポワッと温かくなったそのとき、ピースが何かを見つけた。
「あ」
明るいピースの声に、和泉はその視線を追う。少し離れたところに小さなパステルイエローの光が見えた。あれ? と思う間もなく、ブルーやらグリーンやらオレンジやらの柔らかい光が次々と浮かび上がる。春の精だ、と和泉は思った。仲間たちがピースを迎えにきたのだ。ピースはふわふわと仲間たちのところへ飛んでいく。
そして。大勢の春の精たちは、互いに手を取り合って空へ舞い上がった。カラフルな淡い光がふわっと交じり合って、ゆっくりと消えていく。
――よかったな、ピース。みんなのところに戻れて……。じゃあ……俺は?
和泉はその優しい光を見送ったまま、じっとそこに立ち尽くしていた。
どれくらいそうしていただろう。
「和泉じゃん、こんなとこにいたんだ。探したよ」
突然呼びかけられて、和泉は振り返った。
「颯真」
和泉の前には卒業証書を抱えた颯真が一人で立っていた。
「参ったよ、女の子たちが離してくれなくてさ。俺は和泉とゆっくり話がしたかったのに」
そう言って颯真は、和泉を見つめて笑った。颯真が自分を迎えにきてくれた。そのことがただ嬉しくて、和泉は真っ直ぐに颯真を見つめ返した。
――俺が行きたいのは……颯真の隣だ。
そう強く思った。和泉は静かに口を開いた。
「俺も、颯真に話したいことがあるんだ」
ピースがくれた勇気。和泉はまだほんのり温かい胸をそっと抑える。
そして。
ラブレターを持つ手にぎゅっと力を込めると、和泉は颯真の笑顔に向かって力強く一歩を踏み出した。
暖かい春の、予感がした。
【了】
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