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その冬、初めて雪が降った夜だった。暖炉の前で鍋の中を覗き込んでいた朋祢(ともね)は、外と繋がる扉が二回、叩かれるのを聞いた。
日付が変わろうという時刻である。普通の人間であれば、こんな深夜に朋祢が住む山の麓の小屋を訪れはしない。しかし、この家を訪れる客の半分ほどは普通とは言えない人々だった。
「皎(きよ)ちゃん、出てくれる?」
朋音は古びた絨毯の上で毛づくろいをする小柄な狼に客の応対を頼んだ。
「断る」
「……」
咄嗟に迫力不足の睨みを足元に向けたものの、朋祢はすぐに視線を鍋の方へと戻した。
「こっちは今、火の通り具合に目が離せない所なんですけど!」
「だが断る」
「なんで!外寒いから?そんな立派な毛皮生やしといて、ケチ!」
「そんなことじゃねーよ。なんか、嫌な予感がするんだよ」
「嫌な予感……」
コン、コンと、再び扉が叩かれた。
「……嫌な予感って、何?」
「お前、何も感じねーのかよ?魔女の癖に……って、お前には今更そんなこと愚問か」
「えっ、えっ、何?まさか、幽霊とか?!」
朋祢は背中の先にいるだろう謎の来訪者に怯えた。しかし、注意を逸らしてしまえば半日の作業が全て無駄になるので、鍋の前から離れるわけにはいかない。
「どこに幽霊怖がる魔女がいるかよって、ここにか。俺は怖くないからな、幽霊なんか」
「じゃあ皎ちゃんが怖いと思うようなのが、ドアの外にはいるってこと?」
「……」
「そこ、黙るトコ?やだ、怖い」
自然と声が小さくなっていった朋祢の耳に、またしてもノックの音が届いた。
「幽霊より怖いって、何者よ。嫌だよー怖いよー」
「お前、言う割には余裕で鍋の中掻き回してんじゃねぇか」
「だってさ、この作業が一番肝心なトコよ。失敗したら手間も材料も水の泡よ。……居留守使えないかな?」
「無理だろ。この家、灯り盛大に点けてるし」
三度扉は叩かれ、今度は後に、か細く「助けて」と言う声が聞こえたような気がした。
「……今の、子供みたいな声、空耳だよね?」
「空耳だ」
「嘘つき!皎ちゃんの人でなし!」
「魔犬だからな」
朋祢は足元にあった魔犬の尻尾を蹴っ飛ばし、急いで扉に向かった。鍋の中身については、諦めた。こんなことになるなら一度目のノックで出ればよかったという後悔はせずにいられないにしろ。
「お待たせ」
ドアを開けた朋祢の頬に、真っ暗な林の木々を吹き抜けてきた冬の冷たい風が触れた。外には、十にもならない少女が立っていた。みぞれ交じりの雪の中だというのに、その少女は薄い長衣しか纏っていなかった。
朋祢は、見上げてきた黄緑色の瞳に捕らえられた。
「火に……火に、あたらせてくれませんか」
少女は青くなった唇を震わせながら言った。
魔女の朋祢と謎の少女――晶良(あきら)は、こうして出会ったのだった。
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