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序章
その獣の前足は、赤く染まっていて。
ケガをしている・・・。
思わず近寄ろうとした私の腕を。彼が掴む。
「もう覚悟をしている眼だ。手出しはいけない。・・・こちらの介入を望んではいない」
頭の上から聞こえるのは抑揚のない静かな声で。
柔らかく握ってくれているけれど。私では振りほどけない力強さだ。
仕方なく、治癒は諦めようと彼を振り向く。その綺麗な藍色の目は暗く。獣をひたと見つめていた。
「それでも、顔を見せてくれた。最期に」そう呟く声は先ほどとは明らかに違う。感情があふれ出している。
・・・その悲痛な声に。ぎゅっと心が痛む。
つられてまた獣のほうを見ると。ふいと方向を変えて。森の奥へ消えてしまった。これが最期。もう二度と見かけることは無いのだろう・・・。
見送る彼の手は知らず知らず握りしめられて。私の腕が痛いほど。
いつもなら、文句を言って振り払うところだけど。
彼がどんなに辛いか、今ではもう知っているから。
この人を。慰めたい。・・・私はとうとう覚悟を決めた。
卑屈になるのはもうやめる。
あなたに捨てられることを怖がって、このまま逃げていたって。
・・・どうせいつか飽きられるのだもの。結果は一緒だわ。
なにか感じたのか、彼は。
掴んでいた手を離し、私の顔を覗き込む。
いつものように優しい瞳で、おもねるように私を見つめてくれる。
本当に綺麗な顔。これだけのイケメンが私を好きだなんて信じられないわよ。
彼を好きなのと、彼を信じるのは別なんだわ。
それでも。
私があなたを好きだってことだけは、認めるわ。
ずっと。・・・気づかないふりをして、きたけれど。
今。この瞬間この男は私のものだ。そして私と彼は同じものだ。
そんな自己陶酔くらいいいじゃないか・・・。
明日には、捨てられて泣くかもしれないんだから。
私は彼に飛びつく。
腰にしがみついて、ぎゅうううっと抱きしめる。寂しがらないで。私が居る。
身動き一つしなくなった彼を見上げると。すごくびっくりしている。
びっくりした顔までイケメンだわ。
彼はぽかんと開けた口を閉じて。
横を向き、ふううううっと大きくため息をつく。
それからやっと。
ゆっくりと震える手で。私を抱きしめた。
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