《173》

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 風の中の声が大きくなった。それはほとんど、慟哭に聞こえた。宗茂が叫んでいる。戦いたい、父の傍で、と。 「耐えろよ、宗茂」 蜻蛉切の柄を見つめ、忠勝は言った。高橋紹運は忠勝と同年の39歳だと聞いている。どこか忠勝は、立花宗茂の父になったような気持ちになっていた。ここで感情に走り、立花山城から出てくれば、忠勝はこの場所で宗茂の横腹に攻撃を仕掛けなければならない。感情に心を支配された大将が率いる部隊は脆い。忠勝が率いる黒疾風なら一刻かからず潰すことができるだろう。できれば、気の乱れた立花宗茂など攻撃したくなかった。今、宗茂は武士として越えなければならない壁の前にいる。忠勝にも覚えがある。齢25の時。浜松の三方ヶ原、武田軍との激闘で叔父、本多忠真が死んだ。早くに父を亡くした忠勝にとり、叔父は父同様の存在だった。あの時忠勝は破裂しそうな感情を腹に納め、家康を護ることだけに専心した。それで何かを越えた。一回り大きな己を感じる事ができた。武士にはそんな瞬間があるのだ。 すべてを乗り越えた立花宗茂と戦いたい。忠勝の想いだ。  翌日も激戦の報せが忠勝の元に届いた。岩屋城は更なる曲輪の占拠を赦さなかった。高橋軍は島津軍の兵を700から750倒したとのことだ。高橋軍も200はやられたという。立花山城は無人のように静かだと報告が入った。  連日、岩屋城では激戦が続いた。  壊れた甲冑を身に着け、顔を泥だらけにした豊久が忠勝の前に現れたのは7月27日の夜だった。実に岩屋城攻めが始まってから半月が経過している。
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