《173》

9/11
152人が本棚に入れています
本棚に追加
/276ページ
 忠勝の居る場所の周りは緑の丘に囲まれている。西に眼を向ければ、山間に光の粒を跳ね返す海面が見えた。波が岩を打つ音、鳥の声、島津軍の甲冑が擦れる音、すべてが渾然一体となり、鮮明に聞こえてくる。少し湿り気を帯びた風が忠勝を包んだ。忠勝の居る丘から島津軍が展開している場所までは8町(約880メートル)といったところか。大気を切り裂くような喊声が聞こえてきた。立花山の北東側からだった。島津軍の囲みの一部が乱れている。立花軍が城から撃って出てきたのか。忠勝は眼をこらした。違う。立花山城から部隊は出てきていない。出撃の気配は全く無かった。島津軍があげる喊声が動揺に変わった。動揺の声は鯨波となり、攻囲全体に拡がっていく。  よくよく見てみると、一騎だけだ。ただ一騎の騎馬武者が島津軍中で暴れ回っていた。一騎だけの騎馬武者は輪貫の月を脇立てにした兜を着けていた。小隊を連れて城から出てきたのかと、忠勝はもう一度よく見た。違う。やはり、単騎駆けだ。輪貫月脇立兜の騎馬武者の動きは流星が如く、早い。島津軍が囲んで射ち取ろうとするも、全く捉えることができないでいる。一撃だった。輪貫月脇立兜は二撃目を使わず、次々と島津の兵を倒していっている。  輪貫月脇立兜が何の得物で島津兵を倒しているのか、忠勝は一瞬わからなかった。輪貫月脇立兜の手には大身槍があった。わからなかったのは、槍の柄が白いからだ。 「なんと」 忠勝は思わず声を発した。全身に燃えるような熱が生じる。久しく覚えたことがなかったほどの興奮が忠勝の全身を包んだ。島津軍が真っ二つに割れた。輪貫月脇立兜がただ一騎で軍中を突破した。 「立花宗茂か」 忠勝は叫んだ。輪貫月、否、立花宗茂が忠勝が居る丘を見上げてきた。
/276ページ

最初のコメントを投稿しよう!