欲しい未来

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欲しい未来

 野島さんがしばらく映画館を休むらしい。 代わりに高校生と大学生の男の子が、一生懸命働いていた。 キラキラしていて、とても楽しそうだった。 だけど、私は寂しさを感じた。 その日上映された悲しい映画がさらに私の寂しさを増幅させた。 野島さんが休んでいる理由を吉岡さんに聞いたけれど、分からないという事だった。  私は映画の帰り、吉岡さんと歩いていた。 すると突然吉岡さんが 「タップダンス踊ったんだってね」 と言ってきた。 何の話か分からず吉岡さんの方を見ると、吉岡さんは満面の笑みで 「の・じ・ま・さ・ん」 と上手ではないウィンクをしてきた。 見られていたのかと思う。 「あそこに来るのは噂大好きなおじいさん、おばあさんだからね。誰が見たかは分からないけど、野島さんと依子ちゃんが踊ってたって聞いたから」 少し沈黙の時間が流れてから、 「ちなみに私は踊ってませんけどね」 と一応、訂正した。 「あれま。やっぱり噂には嘘が紛れ込むのね」 吉岡さんは少し笑ってから、真剣な表情になった。 「私は野島さんがどこに行ったか、何にも知らないし、ただ依子ちゃんの笑顔が好きだから言うけど...初めて依子ちゃんを見た時と、最近の依子ちゃんは全然違うわよ。とっても良い意味で。心の持ちよう、素直な気持ち。これが大事。でも、今...」 「もしかして今の私...」 「凄く寂しそう。もう隠しきれないって感じね。野島さんへの気持ちが。大丈夫。誰にも言わないわよ。噂好きの私だけれど、聞くのが専門だから」 吉岡んは私の肩をさすった。 「若いっていいわね。年寄りによく言われると思うけれど、本当にそうよ。何でも出来る。私達はしたいと思っても出来ない事ばかり。恐ろしいほどに年を取るのは早いのよ。お節介は止そうと思うけれど、これは大事な事かなと思って。これからも何度も言っちゃうかもしれない。ごめんね」 その後、吉岡さんの家でまた鍋をした。 温かい空間に心が安らいだ。 帰り際に、玄関までお見送りに来てくれた吉岡さんが 「またお節介言うけれど、素直に生きてみなさい。ほら、映画好きでしょ。映画の中に入ったと思って。現実逃避じゃなく、良いイメージ作り。現実に落とし込むの。いい?」 と頭を撫でてくれた。 温かい手だった。  吉岡さんには私の心がお見通しだ。 今まで辛い事は沢山あった。 でも、それは誰にでも起こる事でもあった。 悲しみを抱かない人はいない。 どうしても気分が落ちてゆき、夢や理想を捨ててしまいたくなる事もあった。 行動できず、自分の小さな世界だけで生きていた。 でも映画を観たり、日常の些細な事でまた夢を抱いてしまう。 なんて単純で複雑なんだろう。  ひとまず、吉岡さんのアドバイス通りにしようと思った。 そうしたいと心から思った。 映画の中に入ってみる。 風の音も遠くに響く車の音も、小さな足音もすれ違った女性のヒールの足音も。 リュックが歩く度に体に当たる音、木々の葉っぱが擦れる音。 全てが愛しく思えてくる。 私だけの映画。 世界。 一人きりの世界。 そこから二人だけの世界に行けるだろうか。 そしてもっと沢山の人との世界に行きたい。 そう簡単にうまくいかないと思うけれど、自分の苦手な事など見えないほどただ見つめていた。 欲しい未来を。
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