6人が本棚に入れています
本棚に追加
目覚め
目を覚ますと泣いていた。
母の夢を見ていた。
あの優しさに、声に、強さに、明るさに。
その全てに私は油断してしまっていた。
大学生の頃。
もう大人なのに。
私は幼かった。
母は死んでしまった。
時々、母が死んでしまうのではないかと考える夜もあった。
でも、その考えが自分の中を深く埋め尽くす前に母が私を引き上げた。
何度も何度も。
母は決して弱さを見せない訳ではなかったが、ほぼ見せないに等しいほど我慢していた。
それに気付けなかった。
母の事をもっともっと知っておくべきだった。
母が父と出会ったこの街にいると、母の事を前よりも思い出すようになった。
忘れていた事も。
家で一人ギターを弾き、歌っていた私に言った母の一言。
「私が昔買って、履いてなかったハイヒール。依子にあげる。履いてね。同じような靴ばっかりじゃ、つまらないよ。若いんだからもっと派手にしてみたら?」
私が
「歩きにくいし、似合わないからいい」
と言うと、母は
「そっか」
と悲しそうに言った。
その後小さな声で放った言葉。
それを思い出した。
「それじゃあ、ずっとそのままだね~」
母はきわめて明るくそれを言った。
だから少し、ん?と思ったけれど特に気にしていなかった。
今、初めて思い出したくらいだ。
思い出した瞬間、心臓がギュッとなった。
母はよく、私が家で一人ギターを弾いていたり、歌っていると少し悲しい顔をしていたような気がする。
音楽という安定しない将来を描いた私に不安を抱いたのか、と思った事もあったけれど、母はそんな事は思わないはずだ。
むしろ応援していたと思う。
小さな世界に閉じこもっていた私をどう変えようかと迷ってくれていたのではないだろうか。
でも子供じゃないし、直接”こうした方が良い”だとか言うのは違うと思っていたのかもしれない。
そうとしか思えなかった。
母とずっと一緒にいたのだ。
母が実は不器用だという事は分かっていた。
その日、陽が落ちる頃、ギターケースをクローゼットの奥から出し、部屋に置いてあったギターを仕舞った。
そしてギターケースを持ち外に出る。
港近くの公園には人が誰もいなかった。
ベンチで小さな音でギターを弾き、鼻歌混じりで歌った。
少しずつ外に向けよう。
母への想いが初めてメロディーになった。
言葉になった。
やっとだった。
最初のコメントを投稿しよう!