偶然

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偶然

 野島さんがいない間の映画館は、上映回数が減ったものの、高校生と大学生のお陰でほぼ通常営業といった感じだった。 ボランティアからアルバイトに昇格したらしい。 高校生に野島さんの体調が悪いのか聞いてみたが、 「僕達も詳しくは聞かされてないんですけど、体調の問題ではないと言ってました」 と詳しい事は結局誰にも分からなかった。  私は日々作曲をしていた。 時々公園に行き、迷惑にならない程度に歌ったりした。    ある日、小さな女の子が目の前で真剣に私の歌を聞いてくれた。 歌い終わると拍手をし、私に言った。 「ギター触ってみたいの」 「いいよ。あまり強く弾くと指、傷つけちゃうから気を付けてね」 女の子は満面の笑みで私の隣に座り、ギターをお琴のようにして弾いた。 私がコードを押さえて女の子が弦を一本ずつ鳴らした。 「綺麗な音」 女の子はとても嬉しそうだった。 すると 「ななこ~」 とお母さんらしき人がこちらに向かってきた。 私に向かい、会釈する。 「すみません。大切なギター、弾かせてもらったみたいで」 「いいえ。とっても喜んでくれたので、私も嬉しいです」 ななこちゃんはお母さんが側まで来ると、ギターの事はもう忘れたかのように、ギュッとお母さんを抱きしめた。 私は、辛かったあの日の母を抱きしめてあげたかった。 ななこちゃんのお母さんの表情をみてそう思った。  少ししてから、ななこちゃんは再びギターの方に戻り、お琴のように演奏を始めた。 お母さんは、ななこちゃんを優しく見守りながら、私に聞いた。 「最近何度かお見かけしていました。ご自分で作られた曲ですか?」 「はい。まだまだなんですけど...」 「最近は全然いないんですけど、この辺りは結構路上ライブしていたんですよ。十年前くらいに始めた人がいて、だんだん若い子がここで演奏するよになったんです。公園の中じゃなくて、港のある方ですけど。今度、そっちで演奏されたらいかがですか?」 「知らなかったです。ありがとうございます」  親子と別れ、私は公園のベンチでゆっくりしていた。 「ライブか...」 今やっている事はライブとは言えない。 もっと外に向けなければならない。  その時、後ろから 「ワン!」 と犬の鳴き声が聞こえた。 振り返ると蛍光グリーンのフリスビーがこちらに向かってきていて、犬はそれを必死に追いかけていた。 犬はフリスビーに追いつき、見事にキャッチ。 その犬はシェットランド・シープドッグだった。 見た事のある犬だ。 「おいで!持ってきて!」  聞こえた声に私は立ち上がる。 犬の走って行く先にいたのは、野島さんだった。 突然すぎてよく分からなくなった私は、感動がじわじわと体に流れ出すのを感じる。  私に気付いた野島さんは、丁寧にお辞儀し、ラッキーを連れ、こっちに向かって歩き出した。
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