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聞くこと
「正直に話すと、あの日なんで泣いていたのか...気になっています」
野島さんのハンカチで頬を拭きながら、私は思いがけない事を口にした。
言ってから
「すみません。言いたい事なわけがないですよね!」
とすぐに切り替えた。
「今日は沢山、話を聞いてくれてありがとうございました。また、映画館行きますね」
私がギターケースを持って立ち上がろうとすると、野島さんが
「待って下さい」
と強く言った。
「言いたくないというより...恥ずかしいだけなんです...」
私達は公園のベンチに座り直し、野島さんは言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。
「僕は長い間、写真が撮れなくなっていました。正確に言うと、なんのために撮るのか分からなくなっていました。最初の衝動みたいなものが消えてしまったんです。それで、恋人にも別れようと言われて。写真家としての僕が好きだったみたいで、写真家じゃない僕には何の魅力もなかったんです。そういう情けない理由だったんです。それで夜に酔っ払って外で寝てるって...格好悪いでしょ」
野島さんは下を向き、自嘲気味に笑った。
「私のこれまで作った曲は、ほとんど誰にも聞かせていないんです。趣味のままでいいなんて思ってないのに。自分で聴くばっかりなんです。大勢の人に聴いてほしいのに。臆病だから...とか言ってられないんです。でも、あの日野島さんの涙の跡を見てから少しずつ変わってきていて。一人の為の歌を作っていきたいっていう目標が出来ました。初めて母への歌が作れたんです。一人に向けた歌は自分勝手なものだと考えてきたんですけど、本当はその方がリアルなんじゃないかって...」
私はここまで言ったのならもう少し頑張ろうと思った。
とても緊張した。
「さっき歌った曲は野島さんの涙の跡を見て、色々な人の事を考えて書きました。でも作りたかったのは、野島さんの為だけの歌です。あの日の、心のギュッとなる感じだけを歌にしたいんです。それと、野島さんが撮ってくれた写真にも曲をつけたいって思っています。私...」
そこまで言って私は黙ってしまった。
「ありがとう。本当に。そんな風に言ってくれて本当に嬉しかった。お願いがあります。依子さんと虹の写真なんですけど、展示させて欲しいんです。写真展をやろうと思っています」
野島さんは相変わらずゆっくりと丁寧に話した。
心地良い話し方。
「吉岡さんに聞きました。前はよくやっていたって。恥ずかしいけど、嬉しいです。絶対見に行きます」
日の暮れる頃、野島さんと別れ、家に帰った。
家に着き、ソファに座った時に、今日の出来事の重大さを感じた。
あんなにスラスラ言葉が出たのはいつ振りだろうか。
あんなに素直な想いを言葉にしたのは初めてではないだろうか。
思い返してまたドキドキした。
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