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虹とプリズム
出勤前、私は靴箱から箱にしまったままのハイヒールを出した。
ベージュで少し光沢がある。
ピカピカだ。
これは母にもらったものだった。
「若いんだからもっと派手にしてみたら?」
と言った母の表情が思い浮かぶ。
その後小さな声で放った言葉も。
「それじゃあ、ずっとそのままだね~」
今日は野島さんの写真展の日だった。
あの日以来私は、野島さんに会っていなかった。
野島さんは映画館に復帰していたけれど、なんだか恥ずかしくて行けていなかった。
それともう一つ理由があって、野島さんが撮ってくれた写真の曲を作っていたのだ。
一緒に虹を見たあの日の為の歌。
虹を見た時、隣にいた野島さんの為の歌。
作るのが楽しく、早く完成させたかった。
吉岡さんが店に来た時に、写真展のチラシをくれた。
「依子ちゃんに渡してって言われたわよ。最近、映画館全然来ないんだから。野島さん心配してたわよ」
吉岡さんは少しこちらの様子を伺っているようだった。
「野島さんに、曲を作っていると伝えてくれませんか?」
「曲?ちょっと~、二人で抜け駆けしないでよ。私にも聞かせてよね。依子ちゃんの曲。カラオケに誘ってもくれないんだから~」
「必ず聞かせますから。野島さんに写真展、楽しみにしている事も伝えて下さいね」
「分かったわよ。伝えておくね。もう~野島さんの事で頭がいっぱいなのね~」
「すみません」
「許してあげる。やっぱり若いって楽しいでしょ?」
「そうですね」
母のハイヒールを履き、いつもはリュックだけれどハンドバッグを持ってみる。
たまにはいいかもと思う。
いつもより長く、鏡の前に立つ。
なんとなく一瞬。
母の表情に似ていた気がした。
仕事が終わり、野島さんの写真展お祝いの花束を作ってから映画館へ向かう。
会場は映画館の三階だ。
着くと、よく映画館で見かける人達が沢山いた。
それから、なんとなく芸術家っぽい人達も何人かいた。
端から見ていくと北海道の写真が多く展示されており、どれも美しい。
特別な景色を写しているわけではないのに、それらは特別なものに変わっていた。
素敵な映画を観た後のような、全てを愛しく感じられるような風景。
展示場所の一番奥に、小さなプリズムのようなものが連なって暖簾のように下げられている。
その暖簾をくぐると、そこには虹と私の写真が大きく飾られていた。
プリズムが後ろの照明を反射させ写真には無数の光。
「綺麗...」
思わず声が出てしまう。
「依子さん」
野島さんの声だ。
「こんにちは。どうでしょうか?この写真が今回のメインです」
野島さんは少し恥ずかしそうに目尻を掻いた。
私は言葉を必死に探した。
何といえばこの感動を伝えられるだろう。
すると野島さんは、”伝わっているよ”と言うように優しく何度も頷いた。
それからしばらくの間、写真を眺めた。
「野島さん。少しお話し出来ませんか?」
屋上まで二人は無言で歩く。
野島さんの後ろ姿を見つめながら、私はこの街に来てからの事を思い出していた。
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