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言葉
その子は人懐っこかった。
よく笑い、よく怒り、泣いたりもした。
彼女といるのは楽しかったし、自由な彼女を羨ましく思ったが、次第に何か負い目を感じるようになった。
きっと彼女は自分と全く別の所にいたから。
そして、それに合わせるのが辛くなった。
彼女はあまりにも自分の感情に素直だったのだ。
そんな彼女の感情を傷つけないように、楽しい気持ちでいられるように努力するあまり私は本心を言わなくなった。
それを悟った彼女は私から離れていき、私は一人になった。
きっとあの時、彼女は私にもありのままを求めていたのだ。
彼女も彼女なりに苦悩していたはず。
学生時代の女子はなんと難しいものだろう。
時が経てば後悔ばかり。
今ならきっと、と何度も思う。
彼女と離れ一人になり、凄く気楽だったけれど、人との関わりが一気に減った。
私は彼女の力で存在していたんだと思った。
少しずつ私は孤立していった。
その子と会わなくなってからも、夢に出てくる事が多い。
かなりの確率で登場するのだ。
私は彼女にも彼女といた頃の自分にも執着していた。
人懐っこいその犬と出会い、人懐っこい彼女の事を思い出していた。
映画館入口で雨宿りしていたのは、ここに来る途中のポスターで見た迷子犬だった。
野島さんがその犬を抱っこして中に入れてくれた。
首輪を見ると手書きで「ラッキー」と書かれていた。
私がポスターを見た場所を教えて、野島さんはそこまで行き、電話番号を確認しに行った。
野島さんが
「ラッキー」
と呼ぶと、ラッキーは少し警戒しながらも尻尾を振った。
「こんなにも人懐っこいと飼い主さんも心配ですね。すぐに連絡します」
ラッキーは私にもすぐに懐いた。
懐かしいな、と昔飼っていた犬の手触りも思い出した。
吉岡さんは少し犬が苦手なのか、距離を置いた場所から見守っていた。
電話で、ラッキーの飼い主さんはとても喜んでいたそうだ。
雨はまだ降ったり止んだりを続けていて、飼い主さんがご年配の方だったので、野島さんがラッキーを連れて行く事になった。
野島さんはラッキーを優しく撫で、雨の中を歩いて行った。
傘をラッキーの上で差していたので、野島さんはきっと濡れてしまうだろう。
私は吉岡さんとバスで帰った。
バスを降りてからは雨は少しずつ弱まっていき、雨が止んだ頃には、今日の出来事が夢のように思えた。
次の日の仕事終わり、運動のために少し遠回りをして歩く事にした。
その日も雨が降ったり止んだりを繰り返していた。
でも、野島さんに会えるのではないかと期待もして、雨が降る中を歩いた。
いつもの港に向かう。
到着して辺りを見たけれど人の気配はなく、雨音と私の足音だけが響いた。
スニーカーと地面の擦れる音。
ベンチはもちろん雨で濡れていたし、する事もなく何となくゆっくり歩いた。
私は元から雨が嫌いではないのだ。
初めて野島さんを見た街灯の前に着いた時、なんとなく気配がして後ろを振り返ると遠くに野島さんが見えた。
首からカメラを掛け、ビニール傘を差していた。
そこには一人でいる時の野島さんがいた。
人間なら皆、一人でいる時と誰かといる時は違うと思う。
だけど野島さんは、考え事をしているとか暗いとか静かとか、そういうのでは言い表せない何かがあった。
出会った時も、ここで何度か見かけた時も同じ何かを感じていた。
だから声を掛けられなかったというか、その姿をただ見つめていた。
少しして、心につっかえる何かを感じた。
母がいつも言ってくれた
「大丈夫」
の声。
穏やかで、空気にフワッと溶けていくようなあの声。
私を安心させて、油断させる声。
あの声が聞こえた気がした。
だから私は、勇気を出して歩き出した。
足音に気付いて野島さんが振り返る。
私は
「こんにちは」
と言った。
凄く緊張した。
野島さんは何度か瞬きをした後で
「こんにちは」
と返した。
「あの...ラッキーはどうでしたか?」
「うん。飼い主のおばあさんも凄く喜んで、泣いちゃって。ラッキーも僕たちに尻尾を振る時の何倍もの速さで尻尾振って喜んでいたな。次会えたら伝えようと思ってたので良かったです」
「そうなんですか。気になっていたので良かったです」
そこまで話して、私は次の会話に困った。
何か話題...
チラッと野島さんを見ると、彼も会話を探しているみたいだった。
おそらく私より10個は年上だろう野島さんの、言葉を慎重に選んでいるような、子供っぽくもあり、でも真面目な姿に心が弾んでしまった。
すると野島さんもこっちを見た。
お互いの不器用さに自然と笑い合った。
野島さんが
「そうだ。ラッキーを見て思い出したんです。今度、『名犬ラッシー』を上映しようと思っています。
良かったら是非」
と言い、そこから映画の話をする事が出来た。
雨の中二人、傘を差し、立ち話。
喫茶店にでも入りましょう、なんてどちらも言わずに。
夢中になって話した。
私の映画話を野島さんは優しく微笑みながら聞いてくれた。
夢のようだとまた思った。
野島さんは夢の中の人のようだ。
記憶の片隅に存在していたかのような人。
ふと、河村くんに似ているかもと思った。
やっぱりどこか変わり者というのか、一匹狼タイプの人に惹かれてしまう。
これが王道から外れた、雨の中立ち話ロマンティック初デートだという事にしたのは私だけだったのだろう。
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