シャルル10世の暴走と退陣

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シャルル10世の暴走と退陣

※ 私の訳なので間違っているかもしれません。 1830年7月、出版の自由を求めたのと、王に反対するために人々は集まりました。シャルル10世は鎮圧部隊を派遣。しかし、民衆や作家達もひるみません。バリケードを築きます。何日もにらみ合いが続きます。 シャルル10世は逃げながらメッセージを発信しますが、おそらく高慢なメッセージのため、みんなの心に届きません。 王党派(王様支持者)はシャンド・マルスでデモを結構しました。 「王様万歳! ポリニャック(当時の首相)の名のもとに! 教会の名のもとに!) 一方、民衆や作家達は 「オルレアン公、万歳! ラファイエット万歳」と叫びます。 オルレアン公ルイ=フィリップは当時、近衛隊長だったようです。ラファイエットは将軍かな? でも、私から言わせると、シャルル10世もオルレアン公も同じ穴のムジナです。オルレアン公はシャルル10世から「孫のアンリを支えてやってくれ」と手紙を出されていたのに、自分が王位を横取りしたり、自分の息子を幼いスペイン王女と結婚させないとイギリスのヴィクトリアと約束したのに破る不誠実な男です。この当時の人達はそれに気づきませんでした。 シャルル10世は、「私は政体の威光を守ってきたのだ」と言います。 でも、もうそれは負け惜しみにしか聞こえません。 シャルル10世の退陣後、1830年8月、かつて選挙でポリニャックを破ったギゾーが新国王ルイ=フィリップ1世(元オルレアン公)の下で内務大臣に就任しました。
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