悪女

31/37
10人が本棚に入れています
本棚に追加
/67ページ
「うちも…してみたいなぁ…」 「え…?」 私はびっくりして振り返る 「キャバクラってテレビとか、マンガでしか見たことない世界だけど…働いてみたいかも…」 愛は人差し指を顎に当てながら、伏し目がちに言った 「…マジ?」 私は驚いてそれ以上言葉が出ない 「うん…麻衣が働いている世界がどんなところか 見てみたいってのもあるけど」 いつの間にかトップを短く切り揃えた元私の髪を、愛は手で盛りながら話す 「い、いいんじゃない!? 楽しいよ!!一緒にしよ!」 気付いたら、私はそう口走っていた 「社会勉強だね!」 愛はそう言ってにっこり笑いながら携帯を開いて 私にスケジュールを確認してきた 彼女は キャバクラを軽蔑するでも 嫌うでもなく 笑顔で迎え入れた 意外過ぎて動揺した私は、金曜日に一緒に、愛とミスティックに出勤する約束を交わしてから別れた ずっと あの教養と愛情溢れる家庭で育てられた「麻衣」が まさか、キャバクラなんかを受け入れるとは思わなかった なんか、って私が言うのもなんだけど、世間での水商売の評価は低いから 彼女も、そういう人間だと思っていた だから、認めてくれなくても、否定されても 傷つかないようにだけ、期待しない覚悟してから言ったのだ それとも… やっぱり、私はただ「麻衣」という人格を 今までずっと、買いかぶり過ぎていただけなのか…? 私の中での「麻衣」の幻想に惑わされて、嫉妬や恨み言を言っていただけ…? あなたも、私と同じ寂しい人なの…? チェンジしても、あなたの奥底の気持ちまではわからないよ それから店に出勤して、着替えようとした所で、見覚えのある服に目が止まった …あれ…? それはゴミ箱に入れられた、私の仕事着 私は一瞬なにが起こったかわからなくなり、動揺した 更衣室には私以外誰もいない そのスーツをそっと、ゴミ溜まりから拾い上げて、広げた カッターで引き裂いたような跡が数本 後はみんなが食べた、おにぎりのつぶとか、唐揚げの油とかが 所々にべたっと付いていた とても、もう一度着れるような状態ではない ふっと鼻で思わず笑いが漏れた 今どきこんな ベタな悪戯する人がいるなんて… ドレスが紛失の次は、これですか 私はスーツをゴミ箱に叩き入れた 手をはたいて、何事もなかったようにミニドレスに着替える 内心、ハラワタが煮え繰り返りそうな気持ちだが それを仕事にまで持ち込んだところで、その日のテンションが上がらなくなって営業に差し支えが出てくる だから私は嫌なことがあっても、その瞬間にすっぱり忘れるようにしている スーツ一着如き、売れないあんたたちにくれてやるよ 負け犬め 更衣室を出て、タイムカードを切ってもらいにリストへ行く 店長に挨拶をして、愛の出勤の件を伝えた 「了解いたしました」 ついでに、私はさっきの更衣室での件を話そうかと思ったが、以前の記憶が蘇って止めた 私には優しい店長だけど、彼に言っても、改善されない… もっと上の人に言ったら、女の子みんな辞めさせるのかな… でもなんか、そうすると負け犬に負けた気がする… 取り敢えずスーツの件は無視して、そのまま待機席に座って 携帯を見たところで店長が私の元へやってきた 「あ、麻衣さん 美依さんの席から場内を頂いたので、よろしくお願いします」 え…? 店長の後に着いていき、紹介された席は 美依さんと、隣にはホスト崩れの男が座っていた 「…失礼します」 「どうぞ」 男は足を組み、ソファーにふんぞり返りながら応えた 美依さんは相変わらず、長い魔女みたいな爪で器用にタバコを挟みながら、無言で吸っている 2人と対面の席に座って、はじめまして、と挨拶をした 2人は何となくニヤニヤしていて、薄気味が悪い 「飲めば?」 男がお酒を勧めてくる 「ありがとうございます」 「これ、どうぞ」 ゴトン、と、男は韓国製の緑の焼酎ボトルを私に突き出した
/67ページ

最初のコメントを投稿しよう!