初恋の藤紫

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初恋の藤紫

※鐘崎&紫月が小学生の頃の思い出話です。  それは鐘崎と紫月が小学六年生の時のことだ。  頃は二月の初め、梅などが咲き出した時期だ。明日は授業で押し花作りをするので、好きな花を持参しましょうと担任が言った。女子たちは喜んでいたが、男子連中は戸惑い気味だった。 「花かぁ……。何にするべ」 「道端のタンポポとかでもいいって言ってたな。花屋で買ってきてもいいし、自分ちの庭に植ってるやつでもいいとか」 「自分ちの庭かぁ。だったらちょうど今、うちン庭に赤い花が咲いてたな。それでいっか」  どうやら紫月は道場の庭に咲いているものにするらしい。それを聞いて鐘崎もまた、自宅の中庭に植っている花の中から選んでいくことに決めた。 ◇    ◇    ◇  家に帰るとちょうど庭師の泰造親方が来ていて庭木の剪定中だったので、鐘崎は早速押し花の素材を探すことにする。 「親方、こんちゃ! 明日の授業で押し花を作ることになったんだけどさ――」  何かいいものはないかと相談する。  鐘崎邸の中庭は広大で、季節毎に咲く花々も豊富――素材選びには事欠かないのは有り難い限りだ。今は梅が咲き出していて、庭に降りるとどこからかほんのりといい香りが漂ってくるのが何とも心地好かった。 「ほう? 押し花かい。だったらこれなんかどうだい?」  親方が作業の手をとめて一緒に花探しを手伝ってくれる。見れば少し早めに咲いた春の可愛らしい花々が花壇の中でいい香りを漂わせていた。 「これ、なんていう花?」 「パンジーじゃよ。今年は早めに花をつけたからの」 「ふぅん? パンジーかぁ……」 「花びらが柔らかいからの。押し花にするにはやり易かろうさ。ちょうど梅も咲き出したから、それでも良かろうよ」  そう言われて梅の木を見るも、いまいちピンとこない。小さくて香りはいいが、学校まで持って行く内にしぼんでしまいそうに思えたからだ。  そういえば紫月は自分の家の庭にある赤い花にするとか言っていたっけ。 (赤い花っていえばアイツん家に植ってるアレか……)  だが花の名前は分からない。 「なぁ親方。紫月ん家にある赤い花って――あれ何ていうの?」 「紫月坊ん家の――? ああ、あれは椿だ。紅椿だな」 「紅椿――」 「あれは立派な花だからのう。押し花にするにはちと大きくてたいへんかも知れんが、作ってしまえば見事だろうさ」 「ふぅん……そっか」  そんなやり取りの最中、ふと花壇の中のパンジーに目がとまった。 「親方! さっき勧めてくれたこいつ……パンジーだっけ? これなら押し花にし易いんだろ?」 「ああ。こいつは押し花にするには代表格だからの。いいのができるだろうよ」 「ホント? じゃあこれにする」  鐘崎の瞳がパッと嬉しそうに輝く。色とりどりの花壇の中に惹かれる色合いのパンジーを見つけたからだ。それは紫色の花びらの中央に差し色の黄色が利いているものだった。 (紫といや紫月の色だしな。それに真ん中の黄色は月って感じでいいじゃん!)  鐘崎にはそれが紫月の名を象徴しているように見えたのだ。 「ほう? 遼ちゃんは渋い色が好きなんだな。紫のパンジーかい」 「う、うん……! んと、男らしくていいかなって……思って」  急に染まった頬の色をごまかすかのように咄嗟にそう言った。 「ねえ親方ぁ、紫の花って他にどんなのがあるの?」 「そうさな、紫といえばやはり藤だろうな。藤紫というくらいだし。他にも季節毎にいろいろあるぞ。初夏には紫陽花や菖蒲、秋には桔梗に竜胆」 「へえ、たくさんあるんだね。うちの庭にもある?」 「ああ、あるともさ。今からじゃと一番先に咲くのは――ちょっと赤みがかっているが紫木蓮じゃな。藤は――ここのお庭にはなかったの。じゃが紫陽花と菖蒲はあるぞ」 「……うちにはないんだ、藤紫……」 「藤は見事な花を付けるまでに年月が掛かるからの。まずはお棚から作らにゃならん」 「お棚?」 「そう! こう――な、でっかい棚を作ってそこに絡ませていくんじゃよ」 「時間掛かるんだ?」 「そうじゃな。一から作るなら何年も掛かる。今植えたとして、遼ちゃんが大人になる頃には立派な花を付けるじゃろう」 「……ふぅん、そっかぁ」 「そういえばさっき言っていた紫月坊ん家の椿じゃが。ここのお邸にはあれもなかったのう。山茶花があるから植えなかったんだわな」  山茶花と椿は一見雰囲気が似ているし、咲く時期も少し山茶花の方が早いだけでほぼ重なり合うから、敢えて植えなかったのだそうだ。  鐘崎は何だか無性にその二つの花々に惹かれてしまった。この庭には無いから余計にそう思えたのかも知れない。 (親父に頼んで植えてもらおうかな――)  そんなことを思い巡らせている傍らで、親方が押し花用のパンジーを見繕ってくれていた。 「遼ちゃん、明日学校に行く前にこの辺りの花を摘んで行くといい。満開のと一緒にちょっと開き始めた蕾も入れていくといい感じのが出来るじゃろう。花だけちぎらずに茎から摘むんじゃぞ。学校に持って行くまでは茎の根本をちり紙と銀紙で包んで水に浸して行くんじゃ。根本をビニール袋で括っていくといい」  親方は授業が始まるまで枯れないようにと丁寧に包み方を教えてくれた。 「うん! ありがとう親方!」 「がんばって綺麗なの作ってな」 「うん!」 ◇    ◇    ◇  次の朝、いつもよりも早起きしてパンジーを摘むと、鐘崎は昨日親方に教わったように水を浸した銀紙に包んで家を出た。向かった先は紫月の家の道場だ。包みのセットをもう一つ持参していく。紫月の椿を包んでやろうと思ったからだ。  道場に着くとちょうど紫月が父の飛燕と共に庭で花を選んでいる最中だった。 「()よ! あ、師匠もおはようございます!」  鐘崎は幼い頃から頃から紫月の家の道場に通っているから、飛燕のことを師匠と呼んでいるのだ。 「おう、遼二坊。早いことだな」 「はい、今日は授業で押し花やるんで――」  持ってきた包み一式を差し出す。 「おや、これはこれは。わざわざ紫月の分まで持参してくれたのか」 「はい。昨日泰造親方にやり方教わったんです」 「そうかそうか。ありがとうな」  当の紫月は花選びに必死の様子だ。 「遼、もうちょい待ってて!」 「慌てなくていいって。まだ時間あるし、ゆっくりやれよ」 「うん! 悪ィな」  身長が小さいから、台の上に乗って真剣に選んでいる仕草が可愛らしい。鐘崎はそんな姿を見ながら密かに頬を染めたのだった。 ◇    ◇    ◇  半月後、それぞれ出来上がった押し花を栞に仕立てて完成を迎えた。  鐘崎のパンジーはなかなかに良く出来て、先生からも褒められた。紫月のも立派に出来上がったが、元の花が大きかった為、栞にするには厚みも幅もダイナミックに出来上がってしまったようだ。 「うっはぁ……これじゃ栞って言わねえなぁ。デカ過ぎ!」  本に挟んでも盛り上がってしまって相当に大きい。 「遼のは上手く出来たな! 俺ンは……何ちゅーか不格好」  そう言って豪快に笑う。 「そんなことねえよ。栞には……確かにちょっとでけえかもだけど、額に入れて飾るには最高じゃね?」 「そっかぁ?」 「おう! 立派でいいじゃん」  鐘崎にとってみれば、紫月が作ったというだけでどんな栞よりも価値あるものに思えていたのだ。 「ホントにイケてると思うか?」 「もちろんだ! 俺んちに飾りてえくらい……」 「マジ?」 「ああ、大マジだ」  ふぅんと紫月は小首を傾げると、 「んじゃ、これお前にやる!」  そう言って出来たばかりの栞を差し出した。 「……いいのか?」 「いって! こんなん、明らかに不格好なの褒めてくれて嬉しかったからさ」  えへへと照れ臭そうに鼻を掻きながら笑う仕草に頬が染まった。 「さんきゅ――。大事にすっから」  鐘崎はまるで宝物を扱うように両の掌で大事そうにそれを受け取った。 「俺のは――お前がもらってくれよ」  そう言って自分のパンジーを差し出す。紫月は驚いたようにして大きな瞳をクリクリとさせた。 「いいのか? こんな綺麗に出来たのに……」 「いいよ。お前がもらってくれた方が嬉しいし――」 「マジ? 悪ィな!」  紫月は『俺も超大事にすっからな!』と言って嬉しそうに受け取ってくれた。鐘崎にはその笑顔が何よりも嬉しく思えたのだった。  放課後、互いの作った栞を泰造親方と飛燕に見せに行ってから、二人は交換した紅椿と紫色のパンジーを抱えて帰った。  鐘崎は早速にそれを飾る額を源次郎に見繕ってもらい、紫月は自室の机の上で両肘をつきながらそれを眺めてはどこに飾ろうかと楽しい想像に明け暮れた。 ◇    ◇    ◇  あれから二十年が過ぎた今、二人が少年の頃に作った紅椿とパンジーの栞は二つ一緒に入る大きめの額に入れられて、鐘崎組の事務所に大切に飾られているのだった。押し花として鑑賞するにはさすがに色褪せてしまっているものの、そこがまた月日を感じてレトロな風合いを醸し出している。  余談だが、押し花授業のすぐ後に鐘崎が希望した紅椿の植木は、一之宮道場から一本分けてもらい、泰造親方によって中庭に植樹された。同時に作られた藤棚は年々順調に育ち、こちらもまた春になると鐘崎邸の中庭で見事な花を咲かせている。  一之宮だった姓は鐘崎に変わり、押しも押されもしない若頭と姐さんになった二人を見守るように、幼き日の思い出も季節の花々も共に年月を積み重ねていく。いつの日か、共白髪になった二人の側でもきっと大切にされているに違いない。 初恋の藤紫 - FIN -
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