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だが、それらの偏愛を受けた一部の文学の存在は政府が一括で管理し、ごく限られた者のみがデータアクセスをすることが認可された。それを許されたのは、政府お抱えの、【共感映画】の脚本家や、内通者などであった。
当然ながら、フィクションの規制には国内外から多くの批判が寄せられた。当時ポリティカル・コレクトネスの意識が蔓延していた諸外国も、多少なりと難色を見せた。
しかし、事態はさらなる悪化の一途を辿る。当時の日本は国際的競争力が遥かに脆弱であったためから、貨幣の流出の停止を求める運動も非常に活発であった。
これら、情報統制に関する批判をシャットアウトさせることも併せて、鎖国するべきでないかという政治運動が活発化してしまったのだ。
この頃にはだいぶ国民が海外に流出したこともあり、これ以上労働資本を海外に流出させてはならないという観念が国家全体にあった。
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