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裏切り
助けた馬っこの背で揺られ、いつの間にか嘉助は眠ってしまった。この馬っこを逃す(のがす)ために必死になりこの冬空に大汗をかいたこと、あの気違いの親父から間一髪の際で逃れ(のがれ)られた安堵とで嘉助は眠ってしまった。馬っこは背中の嘉助を落とさぬよう気を配りながら雪原をどんどん進んだ。
「大事な形代だすけに落とされねえ」
馬っこは心の中でそう言いながら月夜の雪原を駆けた。
やがて小高い丘に辿り着くと馬っこは背中の嘉助を起こした。
「嘉助、嘉助起ぎろ、嘉助よ」
馬っこの声に起こされた嘉助は寝ぼけまなこで辺りを見渡した。
「馬っこ、ここはどごだ」
「今にこの丘から飛ぶすけえに、しっかりどつかまってろな」
そう言うと馬っこは勢いよく丘から飛び出した。
「馬っこ、落ちるべ、馬っこや」
嘉助は馬っこの首に強く強く抱きついて恐怖のあまりに泣き声をあげた。
「なも、嘉助や落ち着いどがんせ、みれ、おらがたは飛んでらのだ、ほれ」
言われてみれば落ちてゆくどころか、馬っこはどんどん天をかけ月に星に向かって上っているのであった。
「馬っこ、おめ空も飛べるのが」
造作もないという風に馬っこはふんと鼻を鳴らした。
「いいどさ連れでぐすけにな、しっかりどつかまってろよ」
馬っこはどんどん、どんどん月に近づいてゆくのでした。振り返ればさきほどまでいた雪原も丘も小さくなりやがて見えなくなるほど高く、高く天を目指し馬っこは駆けるのでした。
「なあ、馬っこよ、いいどごっていうのはどごだ、もう教えてけでも(くれても)いがべった(よいだろう)」
「行けばわがるすけに待づでろ、すぐだすけに」
馬っこと嘉助はどんどん空をのぼってゆきました。
やがて月明かりの空がぱっと晴れまるで昼間の、そして春のような明るい場所へ馬っこは降りました。
「さあ、着いだど。こごだ」
嘉助は目を丸くしてきょろきょろと辺りを見回しました。今は冬のはず。それがどうでしょうか草は青々としげり小さな花々が咲いているのです。
「馬っこや、もしかして、わあがだ(我々)あの気違いさ鉄砲で撃たれて死んだのか、ここは天国だが」
嘉助はまた泣きそうになりました。
「んでね(違う)天国でなのね(ではない)おらがどお(我々)は逃げてきたすけ死んでもいね。しんぺさねてもええが」
それでもにわかに信じられない嘉助は
「降りてもいいが」
馬っこさたずねました。馬っこは黙ってまた前足を折り身をかがめて低くして嘉助が降りやすくしてやりました。ひょいと嘉助は馬っこから飛び降り、その地面に足をつけると、それは家のまわりと何ら変わらぬ草地の感触でした。
「なして(なぜ)こごは春のようなのだ」
嘉助は大変に不思議がりました。馬っこは嘉助をおろすとじっと遠くへ目をやりました。そこらを歩き回っていた嘉助を向こうから、いつか聞いたことのある声で呼ぶ者がありました。
「馬っこや、だいがおらを呼んだべが」
「んだ、呼ばってら」
小さな人影が近づいて来ました。嘉助も声の主の元へ歩み寄りますと、それは一昨年に亡くなった嘉助の祖母でした。
「ばっちゃ(ばあちゃん)」
嘉助は、その亡くなった祖母を前にし絶句しました。やはり自分は死んだのに違いないのだと思ったのです。
「嘉助、なしてこんたどごさ来た、なして」
ばっちゃは泣いて嘉助の手を握りました。その手は冷たくまるで氷のようでした。やはり自分はもう死んだのだと気づいたのですが
「嘉助や、なも、まだ死んでねえ。生きてる」
馬っこは遠くを見つめたま低く言いました。
「んだたて(でも)死んだばっちゃもいるねが、おら死んだんだべさ」
とうとう嘉助は泣いてしまったのですがそれでも馬っこは、生きているのだとしか言いません。
「生きてるわらしを、せで来ねえばなんねえのさ死んだわらしではだめだがすか(だめだろう)」
嘉助は馬っこの今、言ったことがよくわかりませんでした。
「馬っこ、おめ今、何しゃべった」
我にかえり馬っこに聞き直しました。
「生きてるわらしを身代わりにさねばなんねえのだから、嘉助おめさんはまだ生きてる」
嘉助はそれでもまだ馬っこの言うことが理解できずにおりますと、また遠くから誰かがこちらに向かって歩いてくるのが見えました。その者はどんどんと物凄い早さで近づいて来てあっという間に馬っこの脇に立っていました。
なんとこれは鬼ではないか。鬼を見たことはないがこれは鬼に違いないと嘉助は震え上がりました。背丈は六尺どころか七尺もあろうかという大男でした。嘉助は今までこんな大きな人には出会ったことがありませんでした。
「約束通り生きてるわらしをせで来ました。だからなんとか兄貴と舎弟っこ返してけろ」
馬っこは鬼にあらたまって言いました。
「わがた。約束だすけえな。兄貴と舎弟っこけえしてやっつけえに」
太く響く恐ろしい声がそう言いました。
「なんとか、嘉助どご助けてけねすか(ください)」
嘉助の祖母は鬼の足元にすがりつきますと、鬼はばっちゃを無造作に蹴り飛ばして言いました。
「だめだ。これは馬と俺との約束事だ。このわらしはけえされね」
ごろごろと草の上を転がった、その冷たいばっちゃを嘉助は抱き起こしながら恐怖と、そしてこの馬っこに騙されて地獄へ連れて来られたことなどいろいろを考えていました。
「馬っこ、なしてや、おら、おめどご助けだのにあんまりだべ」
嘉助は泣きながら声を荒らげて言いました。
「しかだねべ。しかだねのだ(仕方ない)騙さいだおめが悪りいのだ」
馬っこは嘉助には目もやらず冷たくそう言いました。
終いに。
哀れ嘉助は鬼にとって喰われ、馬っこは意気揚揚と兄貴と舎弟っこと三疋(三頭)元の雪原へと降りたところへちょうど血眼になって辺りをを探し回っていた気違いの親父に三疋ともその場で撃ち殺されてしまいました。
人を呪わば穴二つ
世の中その通りなのです。これは宮沢賢治の注文の多い料理店からヒントを得、中間を端折って終いとしました
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