sin30°

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sin30°

美影優は今、授業を受けている。教壇に立つのは、善人を縛る先程の女とは違って、頭が禿げ上がり、頭の側面にのみ髪型を残している、強面の男である。 美影優にとって、授業は快楽である。別に学問が好きなわけでもなければ、教師と相性が良いから等では無い。 なぜなら、誰にも邪魔されずに生活出来るというのは、ここまで良いものなのだ。という事に気づいたからである。この高校に入学して良かったことと言えば、もう後は飼育している兎が可愛いことくらいだろうか。それは今後も増えることは無いだろう。 強面男の熱弁を馬耳東風しつつ、たった1人で「妄想」に耽ける。 でも、「妄想」と1口聞いただけで思い浮かぶような内容の妄想ではない。要は、転生したらどうなりたいか…とか、誰それを抱いてみたいなあ…とか、そういったものでは無いということである。 美影優の妄想の内容は、「どうやって人を殺すか」。 たったそれだけ、そのたった1つの話題だけで、貴重な邪魔されない時間の大半を使い果たすのである。 今は授業中であり、教師にも楯突くと面倒な教師であることから誰も邪魔はしてこないが、美影優がいじめを受け始めた理由も、この「妄想」がきっかけであった。 「よし。じゃあこの問題を………じゃあ美影。」 強面の男が美影優に指し棒を向ける。この男は、美影優がいじめを受けているのを知らないため、恐らく、嫌味やそれに近いものでは無いと考えられる。 今という今までほとんど話を聞き流していた美影優は、数秒間、考えあぐねる。 その沈黙の中、美影優をいじめる主犯格の男が美影優を嘲ている。口にこそ出しはしなかったが、あの笑みにはそのような意味が込められているのだろうと想像することは、容易である。 かと言って、そんな物に屈するような時代は終わっている。クラスが包まれていた嘲笑いの中、ボソッと美影優は放つ。 「sin30°」 声になったか、後から不安になってしまうほど小さな声だったが、強面はふむふむと頷いて、 「よし。正解だ。」 とだけ言って指し棒を下ろした。 それを降ろされた瞬間、脅しから開放されたように気が軽くなる経験は全員あるだろうと思いながら、喜びを少し噛み締めた美影優である。 ふと前を向けば、声を持っていた笑いは無くなり、元の情景が戻ってきていた。
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