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     一 「寂しいね」と智恵(ちえ)ちゃんが言った。 「うん、寂しいよ」と透子(とうこ)が返した。 「中学生になっても、いっぱい遊ぼうね」 「うん、いっぱい遊ぼう」  智恵ちゃんと透子とは、来月から離れ離れになるのである。小学校に入学して以来、ずっと一緒であった。クラスが離れても、いつも並んで帰った。帰ると、お互いの家に遊びに行った。親友であった。けれども、離れ離れになる。  別れは、恨めしい。何故別れることになるのか、透子は、どうしてもそういうものなのだろうと自分を納得させることにした。具体的に言えば、智恵ちゃんは受験をして、透子とは別の、私立の中学に行くのである。何故受験などせねばならないのか、それもやはり、そういうものなのだろうと受け入れる他無かった。受験をせねばならない理由など、透子には見当もつかないからだった。ちょっと良く考えてみると、智恵ちゃんの親がそう言うからに、違い無かった。そうすると、その親の所為で、自分と智恵ちゃんとは別れなければならないのである、との結論に至った。——大人の決めることは、良く分からない。それに疑義を呈することは、一種の禁忌であるように思われた。だから、透子にとっては、良く分からないけれど、とにかく離れることになる、ということだけが、紛れもなく現実であった。  卒業式で一人一人が言葉を宣い、後ろ手を組んで整然と歌っている間は、涙など出ようはずも無かった。ところが校門間際まで散々別れを済ませて、家に帰って暫くして、母が買い物に出かけて自分は布団にゴロンと寝転び、辺りがシンとした途端に、ツツと目尻を液体が流れ落ちたのだった。透子は、『実感』というものはふとした時に湧いて出てくるものなのだと、この時学んだ。 「智恵ちゃんに電話しようかな」と透子は一人呟いた。母が帰ってきてから、頼んでみることにした。 「卒業おめでとう!」  それから拍手が起こった。浩司(こうじ)は頭を掻いた。 「ありがとう」と取り敢えず答えておく。  卒業、というものを繰り返すうちに、一体卒業ということが本当におめでたいことなのか、良く分からなくなってきた。無事単位を取り切って、留年もせず、大学を四年で出られることは、確かに喜ばしいことである。が、どうしてか、おめでたいはずなのに涙を流す人がままいる。その気持ちは分かる。別れが辛いからだ。何も、他人との別れだけでない。旧来の自分との、別れでもある。学校を出れば、自分は、変わっていかなくちゃならない。上手く変われるのだろうか、という不安があって、泣くやも知れない。けれども人は、そうして生まれ変わっていかなくてはいけない。卒業は新しく生まれる機会でもある、だから、おめでたいのか知れない。  だが、浩司は思う。生まれ変わらない方が、ずっと楽である。その方が良い。それこそ、めでたいことではないか。 「卒業おめでとう、お互いに」  浩司はそう言って、自身の本当の気持ちには蓋をして、友人と肩を組んで写真に収まった。  年度が変わっても、美久(みく)のなすべきことは変わらない。別れの季節だか何だか知らないが、美久には関係のないことであった。  夕方、出勤の為に道を歩いていると、赤く染まる、芽吹き始めた桜が目に入った。季節の移り変わりだけは、大切にしないといけないか知れない。  月末にカルタの大会があった。拓人(たくと)はどうしても優勝するつもりであった。始めたのはほんの些細なきっかけである。趣味が一つでも増えればと思って、サークルに入ったのだった。すると、どうやら自分には、ある程度カルタの才能があった。めきめきと上達していき、今年の冬には、サークルの代表に選ばれた。  今月末の大会で勝つ、そうすれば、自分の人生は大きく、ガラリと変化する気がした。無論、良い変化を期待しているのである。これまでの人生は、正直、あまり冴えないものであったのだ。良くも、悪くも無い、普通。栄光と誉の道を歩いてきたわけでは勿論無いし、壮絶で過酷な経験をしてきたわけでもない。事件に巻き込まれた事はないし、心から好きな相手に好かれたこともない。そんな変哲のない人生を、ここで変えねばならぬ気がした。カルタが、自分の生きる意味になるやも知れなかった。  そういう心持ちで臨んだ大会に、拓人は惜しくも敗北した。拓人は失意のもと、茫然自失として家路を辿った。が、涙などは出るはずも無かった。無用に強靭に育った心は、あっという間に開いた大きな傷口を修復してしまって、拓人は大学の女のことを想いながら眠った。
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