第六十六話 彼女の昔の男

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第六十六話 彼女の昔の男

 スタッフルームに戻り、美影の車椅子を止めて隣に腰掛ける。  「話をするけど、最近陽介が独りで始めた歌ってみたの動画の伸びが凄く良い。そのことは実感してるな?」  「うん、まあ」  駄目だ。普通に仕事の話なのに翔太先輩のことが気になって集中できない。  「そこでだ。陽介にはしばらくの間、ソロで音楽活動もして欲しい」  それって、ソロデビューしろって事?  ソロデビューに憧れもないのに?  「したくない。俺は、みんなの演奏でテレビに出たいし、歌いたい。歌ってみたの動画だって、月夜の光のチャンネルでやってることだし、ソロデビューすることに意味があるとも思えない。それでもしろって言うなら歌ってみたの投稿、止める」  真剣にそう返すと翔さんは苦笑いをしつつ溜息をつく。  「まあ、わかってたよ。陽介ならそう言うって」  翔さんは困った表情をする。  「でもな、これも戦略だ。俺は、翔平にプロとして雇われた。月夜の光をもっと大きなバンドにする為にはお前にはソロデビューをして貰う。そうすれば月夜の光が世間に認知されるようになる。お前がドラマに出た時もそうだったろ」  確かにそうだ。月夜の光の楽曲がランキングで二位を取ったのもドラマのおかげだ。  「ドラマに出て、その後にあの、聖夜の雫の高森芽依と噂になって世間を騒がせたお前だから出来ることだ。俺の言う事を大人しく聞いて全てを利用しろ。馬鹿なお前にもそんぐらいのこと出来るだろ」  自分の立場だけじゃなくて芽依ちゃんのことも利用しろって言うのか。なおさらソロデビューなんてしたくない。  「翔太先輩の言う事は聞きません。俺は、メンバーの演奏に惚れてるんです。だから、メンバーと一緒にトップを取りたい。そのためにいろんな事を利用するなんて嫌だ」  「本当にお前は、生意気なところは大学の頃から変わってねえな。美影のことも、偉そうにナイト気取りして来やがって。美影、こんな馬鹿な男の何処が良くて結婚までしたんだ?」  翔太先輩が美影の肩に手を置いた。  「彼女に触るな。翔太先輩こそ、女性にだらしないところ、変わっていないようですね」  その手を振り払い翔太先輩を睨む。  「陽介、落ち着け。こいつが女で遊んでるのも知ってる。だけどな、プロデューサーとしては本当に信頼できるやつなんだ」  「とにかく俺は、この人の言う事は聞かない。今後、美影とも会わせないし、俺も会わない。美影、帰ろ。もう話は終わったから」  静かに立ち上がり、車椅子のロックを外そうとする。  「陽介くん、待って」  美影がその手を止めてきた。  「私ね、陽介くんの歌をみんなに聴いて欲しいって思ってるの。それがどんな形でも。先輩の言う通り、独りで歌うことで話題になって結果的に月夜の光の為になるならそうして欲しいな」  そんな事を言われて、また椅子に腰掛け頭を抱える。  美影の思いは嬉しい。だけど、翔太先輩の言う事を聞くのは嫌だ。  「だって、月夜の光が大きくなれば、陽介くんはたくさん笑顔で居てくれるでしょ。私は陽介くんの歌をたくさん聴けて嬉しいし、泰叶や美夢だって喜ぶよ。美夢はまだわからないかもしれないけど、私がたくさん教えてあげたいの。貴女のお父さんは凄い人なんだよって」  美影の話したことを想像してみると微笑ましくて愛おしく感じてしまった。  「ううん、美影がそこまで言うならやってみるよ。でも、俺は、美影の言う事を聞くんだからね。翔太先輩の言う事を聞くわけじゃない」  俺がそう言うと翔さんが小さく笑った。  「本当に陽介は美影ちゃんの言う事なら聞くな」  「あ、翔さん。もしかして、美影が俺を説得すると思って連れてこいって言ったでしょ。ソロデビューの話、絶対俺が嫌がると思ったから」  笑っていた翔さんが、ばれたな。その通り。美影ちゃんは月夜の光が有名になることが陽介の為だってわかってる。だから、きっと、陽介が嫌がっても説得してくれるって思ったんだよと話した。  「酷い、美影のこと切り札だと思って利用した」  「ごめな、だって、陽介が俺たちの演奏に惚れてるのもわかってて、それでも、俺はもっと上を目指したくて。そうすればメンバーの生活は安定するだろ。陽介や美影ちゃんだって、泰叶や美夢ちゃんを育てていけるだろ」  確かに翔さんの言う通りかな。月夜の光がトップを取れば生活は安定するかもしれない。いや、今だって十分暮らして行けてるけど。  「けど、今後は美影ちゃんを巻き込まないように気をつける。だから、陽介も話を聞いて考えるだけでもしてくれ」  「わかった」  何となく話がまとまると翔太先輩が、少し二人で話そうぜと言いだし、立ち上がると俺の腕を掴んできた。 ー続くー
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