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第六十九話 嫉妬
「もしも君と僕が出会っていなかったとしたら君の世界に僕はいなかった」
久々にこの曲を歌うな。最後に歌ったのは確か、美影と公園に出かけた時だ。
そんな事を考えながら歌い、ふと客席に居る美影を見る。彼女は本当に嬉しそうに聴き入ってくれている様子だった。
美影にプロポーズをしたの、失明してしばらく経った時だったな。あの時は俺の事を考えて彼女が自分から離れようとして、俺も必死だった。
だけど今は、彼女と家族になって、泰叶や美夢という新しい家族も増えて本当に幸せだ。
「僕は君の隣に居てそれでも君の声を聞きたいと願ってしまうんだ」
歌い終わった。不思議とあまり緊張しなかった。
「さすがに歌い慣れてるって感じだな。ただ、もう少し音域は広い方が良い。陽介、お前、ボイトレは自己流か」
「そうですけど」
翔太先輩に聞かれて素直に答える。
「じゃ、専属のトレーナーを付けてやる。場所は、お前のうち。練習する為の部屋があるんだろ。あと、ギターはやっぱ下手くそだから、健に教えて貰え。あいつのギター、この前聴かせて貰ったから」
「わかりました」
トレーナーか。歌を教えて貰うのなんて初めてのことだから緊張するな。
「じゃ、仕事の話は終わりな。美影、何年かぶりの再会だ。お前も俺に会いたかっただろ。あんな駄犬、やめて俺に抱かせろよ」
駄犬って俺の事だよな。抱かせるわけないし。
「高橋、お前な。旦那の前で堂々と口説くんじゃない。美影ちゃん、ごめんな」
「大丈夫です」
俺が言い返す前に翔さんがそう言って美影に苦笑いをした。
「本当は俺も会いたくないけど、仕事だから会います。けど、今後、絶対に美影には会わせませんから」
「よく吠える馬鹿犬だな。翔平、自分とこの仲間ぐらいちゃんと躾しとけよ。こんなんだから高森芽依とスキャンダルなんて起こすんだ」
芽依ちゃんは関係ないし、俺だって誰でも構わず怒ってるわけじゃない。翔太先輩がふざけたことばっかり言うから。
もういいや。終わったし、帰ろう。これ以上この人と一緒に居たら頭が可笑しくなりそうだ。
「翔さん、ごめんね。俺たちもう帰るから」
「そうだな、お疲れ。今後のことは俺の方から連絡するから。それと、そのギター持って帰れ。そのギターで活動して貰う予定だから」
翔さんにそう言われてギターをケースに入れて背負い美影の車椅子を押してライブハウスを出て車に乗り込む。
車を走らせること数分が経ち、気まずそうに美影が俺の名前を呼んだ。
「驚いたね。陽介くんをプロデュースしてくれるのが先輩だなんて」
気を遣って話しかけてくれているのに何も返す気分になれない。
「あのね、さっき陽介くんが歌ってたの格好良かったよ?」
普段なら喜んで反応するのに、今は何も返せない。
「ねえ、陽介くん。怒ってる?」
「うん、怒ってる。俺さ、美影が翔太先輩と付き合ってたの過去のことだから仕方ないとは思うんだ。けど、実際会って、あんな風に目の前で口説かれて。それで怒らないわけないじゃん」
別に美影に対して怒っているわけじゃないのにそんな事を言ってしまう。
これじゃ、完全に八つ当たりだ。
「そうだよね、ごめんね」
美影は何も悪くない。それはわかってる。だけど、このイライラを何処にぶつけたら良いのかわからない。
ー続くー
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