スイッチ

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   機能を停止したように黙り込み、瞳を虚ろに濁らせたまま、その場に座って動かなくなった明日菜に凛が訊ねる。 「お姉さんは、自殺だったの? 傷、何度も同じ所を……」 「鬱だった。大学で、初めての彼氏に浮かれて、相手の家で殆ど同棲みたいになってた。最近は家にいる日が増えたから別れたのかと思っていたら、妊娠したんだって。堕胎してくれって言われて、同時に彼が他の女も妊娠させてたのがわかって、赤ちゃんを道連れに自殺。ばかみたい。妹は罪悪感に苛まれながら、家族のために自分の心を摺り減らして、猫の赤ちゃんを殺し続けてるってのに。お姉ちゃんは、産めもしない赤ちゃんを作って、自分と一緒に殺すのよ?」 「お姉さんと仲が悪かったの?」 「まさか。昔から、今も、大好きなお姉ちゃん」 「とめなかったの?」 「とめられないよ。だって、死を選ぶ苦しさがどれ程のものか、わかるもん。あの苦しさに藻掻く人に、まだまだ()の中にいろって言えない。凛だってそうでしょう?」 「下の階の二人は?」 「お父さんがお母さんを殺して自殺した。無理心中ってやつ? 理由は知らないけど、元々お母さんに対して執着の強い人だったし、最近は宗教にのめり込んでたから、しょうがないよね。でも、まさか、家族を捨てるとは思わなかった。非道いでしょう? 私が必死に守ってきたものを、皆で、よってたかって壊すの。無価値だったと切り捨てるの」 「二人を座らせたのは明日菜?」 「そう。いつもの定位置。団欒そのもの」 「明日菜は、死にたいの?」 「どうだろう。死にたくはない。けど、死ななくちゃいけないと思ってる。無価値なものを守るために奪ってきた沢山の綺麗な生命に申し訳ないから、私はここで、生きるのをやめなきゃいけない」  傷、(ここ)、箱……  苦しみの最中を、()の中にいる、と言ったことに凛は気付いていた。産まれた子猫にとって、最期の場所。死んで、腐っていく兄弟たちと肌を触れ合わせながら、自分の死も見据えて過ごす狭い箱。明日菜はこの()の中で、家族と一緒に腐っていくつもりなのだ。  これが明日菜の傷か、と、凛は自分の傷だらけの脚を隠す薄い布を握り締めた。 「()()()、凛を助けてあげたかったんだぁ」  唐突に、普段の明日菜の口調に戻る。久しぶりに目が合った気がした。くるくるとよく移ろう感情をそのままに映す純粋な瞳。 「自分と似た痛みを持ってる凛を見つけて、嬉しくて、共有したくて、でもそれ以上に逃がしてあげたかったの。あたしは救いようがなく汚れてるけど、凛は綺麗だから。こっちに来ちゃ駄目。家族の愛なんて、糞みたいなものに縛られないで。逃げて」  両腕を掴まれ、すがりつくように必死に訴えられる。それはまるで…… 「助けて、って言ってるみたい」  凛を見上げる明日菜の目が、驚いたように見開かれ、また伏せられる。 「言えない。助けられるわけないじゃない。こんな重たいもの、背負わせられない」 「違う。私が聞きたいのは、明日菜がどうしたいかってこと」 「あたしが?」 「助かりたいんじゃないの? 逃げたいんじゃないの?」 「できないよ」  怯えたようにいやいやと首を振る明日菜の顔を両手で挟み、無理矢理正面から見据えさせる。 「できるかどうかじゃない。それは明日菜が考えることじゃないよ。どう()()()()のか、願って。私を、あなたに都合の良い神だと思って」  神様、と暫く口の中でモゴモゴしていた明日菜は、深く息を吸うと、すっと無表情になる。 「……もうここには居たくない。救い上げて、何処かへ連れ去って」  消え入るようなか細い声。感情を乗せない平坦な台詞回し。スイッチを切り、鎧を纏って絞り出した、裸の願いだった。  凛は頷いて、明日菜に片手を差し出した。 「行くよ。一緒に」  何のことやらわからず、きょとんとして座り込んだままの明日菜の手を掴み、引っ張って抱き寄せる。 「私は神様じゃないから、連れ去ることはできない。だから、明日菜も歩くの。私はずっと一緒にいるから。一緒に逃げよう」 「逃げる? 何から?」 「不幸な私達を生み出した家族(血縁)の愛」 「ずっと?」 「古い家族を捨てて、家族になろう。支え合おう。私、わかったの。私達に足りなかったもの」 「何?」 「助けて、って叫ぶこと。偉そうに言ったけど、私も一度も口にしたことなかった。助けてって言う代わりに身体に傷つけてた。だから、叫ぼう。助けて!って」 「……」 「助けて!」 「……て」 「助けて!」 「……っすけて!」 「助けて! 助けて! 助けて!」 「たすけて、たすけて、たすけて!」  たすけて、たすけて、たすけて……  一旦言葉にしてしまえば、とめる事もできずに大声を張り続ける。二人の耳に木霊するのは互いの悲鳴のような叫びのみで、遠く響く救いのサイレンはまだ届かない。 【完】
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