滂沱

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滂沱

 クラスメイトが大学合格を祝い合っている冬、僕は逃げるように教室を飛び出した。運動場の片隅にある花壇の前で僕はしゃがみこんだ。  ざらざらとした土をすくい、撫でるように揉んだ。春からこれが僕の商売道具になる。どこからくるのだろうか、この劣等感は……。否応なく溜息が洩れる。  造園会社に就職決まったんだってね?  背後から女性の声がした。振り返ると、そこには端麗な女子生徒が立っていた。彼女の名前は芳江。そう僕の初恋の人だ。  僕は、ああ、とだけつっけんどんに返した。  ねえ、その花の名前知ってる?  彼女はギザギザ模様した白銀色の花を指差し言った。  もちろん知っている。僕は、シロタエギク、と答えた。  彼女は、シロタエギクの花言葉知ってる? と。  僕はそこまでは知らなかったので、知らねえ、と答えた。  すると彼女は、ふーん、と意味深な笑みを浮かべて言うのだった。  じゃあ調べてみて。今の私の気持ちだから。  そう言うと彼女は僕の前から去って行った。  僕は狐につままれた思いで帰路についた。自分の部屋に駆け込み、高鳴る鼓動を抑えながら花図鑑をめくった。  次の瞬間、世界がひっくり返った。そこにはこう記されていた。  あなたを支えます。  この世界で生きる意味や価値を見い出せなかった僕は強く思った。この世界は捨てたもんじゃないと。こんな出来損ないで傲慢ちきな僕でも実感したんだ。この世界で生きたいと。  僕は僕に向けて言った。  いつまでもクヨクヨしてんじゃねえぞ。いいか、よく聞くんだ。二度と死にたいなんて言うんじゃないぞ。今度言ったら承知しねえぞ。たったひとつしかない命、大切に扱うんだぞ。諦めなければなんにだってなれるんだ。自分に起こる全ての出来事には意味があるんだ。    ~  という言葉を残してお爺ちゃんは逝った。  泣き崩れるお婆ちゃん。  それでも僕は傍観することしかできない。僕のこんな身体では慰めの言葉を発したり、背中を(さす)ってあげることすらできない。僕の身体は全身が麻痺し、許されることは瞳孔で文字盤を追って意思表示することだけ。  お婆ちゃんは涙をぬぐい、僕が横たわるベッドに歩み寄り、(ただ)れた手を僕の頬にあてがい言う。 「お爺ちゃん、とうとう逝っちゃったよ」  僕は何と意思表示していいのかわからず、見切り発車的に文字盤を追った。  お爺ちゃんの初恋の人はお婆ちゃんだったんだね?  すると、お婆ちゃんは含みのある表情を浮かべて言うのだった。 「そんな訳ないでしょ。私、シロタエギクの花言葉なんて知らないわよ。お爺ちゃんがあんたに本当に伝えたかったこと、その真意、あんたまだ気が付かないのかい?」  僕は文字盤を追う。  どうゆうこと? 「そんなこと自分で考えなさい」  お婆ちゃんはそう言うと台所の方へ姿を消した。  僕はこれまでにお爺ちゃんが言っていた言葉を思い起こした。てっきりお爺ちゃんは頭が混乱して今と昔を混同しているのだと思っていた。でもお婆ちゃんの口ぶりではそうではないようだ。  とり残された僕は天井をぼんやり眺めた。天井の幾何学模様が何かを啓示しているようだった。  そういえば……。  お爺ちゃんは医者と喋りながら、僕の方をしきりにチラチラと見ていた。まるで、その話を僕がちゃんと聞いているかを確認するように。  神経の通わぬ僕の脊髄に戦慄が走った。
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