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私だけの背中が、遠くで小さく揺れている。
すぐ角から手を振り、女が夫に駆け寄ってくるかもしれない。
親しげに腕を絡め微笑み合う。
私は惨めに回れ右……。
嫌だ。
そんなのは嫌だ。
どうせなら、夫の口から言って欲しい。
「もう君とは一緒に暮らせない」
と。
そうしたら言ってやろう。
私は貴方と一緒がいいと。
失くしたくないのだと。
まだ……一緒にやりたいことがあるのだと。
たぶん、絶対、貴方を愛しているのだと。
言えていない言葉が次々と浮かんでくる。
景の言った通りだ。
肝心な事は伝わっていない。
夫は当たり前のように、いつまでも私を愛していると信じてた。
妻の座に胡座をかいた怠慢だ。
足が地面を蹴り走り出す。
もつれそうな足を何とか前へ、あの背中に追いつく為に。
「智秋さん、待って!」
張り上げた私の声は、トラックのエンジン音にかき消され、貴方の耳には届かない。
やがてどこかのドアに吸い込まれ、大好きな背中が私の視界から消えた。
迷っている暇などない。
私も飛び込むのだ、夫が消えた扉に。
そして貴方を取り戻す。
何を見ようと。
何が起ころうと。
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