序章

1/1
前へ
/8ページ
次へ

序章

 魔王・ヘルサタン2世。  悠遠なる古の往事からこの御世に至るまで、その身ひとつで、魔界のあらゆる猛者たちを統べ続けたと言われる魔王。  精悍さを感じさせる、やや浅黒い肌。髪はシルバーを基調に森の木々を思わせる茶系がラインとして所々に重ねられている。それとは対照的な、深い森の緑を彷彿とさせるフォレストグリーンの瞳と、切れ長の瞳を覆うまつ毛はご婦人方のそれよりも長く、ご婦人方に優しく語りかける仕草やその甘い声は、他に類を見ないほど洗練されており、どの男性貴族をも圧倒してやまないほど優雅だった。  彼ほど、神々しいと見紛うまでの眉目秀麗なルックスと、美貌とは裏腹の凄まじく悪しき能力を自由自在に操り、諸侯の深層心理を見抜くに長けた能力で、彼らの心の奥深くまで潜り込み悪事に手を染めさせ、俗世に争いを齎した者が果たして存在したであろうか。  これが女性であったなら、世界に類を見ない傾城の美貌と謳われたことだろう。  悪しき夢の成功報酬、その対価とは、一体何を指し示したものだったのか。人々の噂の域を超える事実は示されなかったが、それは、諸侯自らの御命及び財の総て、或いは諸侯の周りに侍る美しき娘子たちとも言われていた。  また、類稀なる麗しき容貌は、彼を一目遠くから目にした御婦人の心をも見透かし、ご婦人方の心と身体を骨の髄まで心酔させ、諸侯たちの間には争い事が絶えなかったとも伝わっている。  悪魔や魔王と言えば、神話や童話などを見てグロテスクな形相を思い浮かべがちだが、決してそうではなかった。  堕天使も、広義での要素は悪魔に近いと言われていた。悪事に身を染め、天界を追われた者たちである。彼等堕天使もまた、見目麗しい形貌を武器として世の中を乱すことに喜びを禁じ得なかった者たちと噂されていた。 「ミステリアス・フォレスト」と呼ばれる、町から歩いて半日と少しばかりの場所に太古の昔から存在したと言われる森。  現在、魔界の長と呼ばれるヘルサタン2世は、森の中ほどに小奇麗な屋敷を構えていた。  黒猫と黒蛇、黒烏、白猫、白蛇、白烏など様々な動物を使い魔として過ごし、これまでの何百年かの過去など記憶から消し去ってしまったかのように、人々を惑わし争いを齎すような真似に手を染めようとはしなかった。  俗世の争いに興味を失ったのであろうか。  今、彼は極僅かな野望を秘める者たちの手助けをするに過ぎない。  此処は、ただの森ではない。魔王・ヘルサタン2世の機嫌を損ねたが最後、生きては出られないという迷路の森だった。  そのため、滅多なことで近づく人間など、今はいない。  野望を胸に秘めた者、どうしても成し遂げたい目的がある者。そういった者たちが時折訪れるのみ。それでも、魔王との会話の途中で恐れをなし逃げ帰る者がその殆どを占めてはいたが。  ヘルサタン2世も、その昔、自ら望んで魔界に身を置くようになった。不老不死と呼ばれる存在には違いないが、そこは少しばかり表現的に適切ではないのかもしれない。  ある方法を取れば、永遠の眠りに就くことができるのだという。    その方法を知るのは、本人と、周りに侍る使い魔だけだった。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

23人が本棚に入れています
本棚に追加