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今すぐ補充しなくてはならい駄菓子も特に無く、やることのない犬養はカウンターの奥でお馴染みの木箱に座りながらお気に入りの文庫本を開いて、しばらく静かに流れていく時を堪能していた。実は物静かな彼にとってこの清閑かな時間は大変気に入っていた。
しかしそんなのどかな時間はここでは大変貴重なもの。物語が最高潮を迎え、次のページへと捲る手が段違いに速くなった時だった。
「おっちゃーん!こんちゃー! ──あれ? 」
「どったの縺溘�縺上s? ……ありゃ?知らないお兄ちゃんがいるー」
「おっちゃんをどこにやったー! はやく言わないと……えっと、けーさつ? につーほー? するぞー! 」
なんとも賑やかな子供三人組が来店してきたのだ。犬養は声を聞いただけでどっと疲労が込み上げてきた。しかし彼は『採用試験』という呪いにかかっているので、未練がましくページに栞を挟んでから重々しく腰を上げた。
今度こそまともな子供であってくれという期待を込めて三人を見る。男の子が二人に女の子が一人。一件まともな人間にも見えるが、彼らの顔にはそれぞれ特徴的な大きな痣が描かれていた。そしてちょっと変わった臭い。犬養はまた変わった子供が来たと察し、今にも出したい大きなため息を必死に飲み込んで営業スマイルを己の顔に貼り付ける。
「いらっしゃい。オレはバイト──になるための採用試験中。店長なら奥の部屋にいるから呼んでこようか? 」
笑顔がぎこちないのが己でもわかる。それでも怪しいものではないことをどうにかして伝えようと犬養は必死に口角を引き上げ続けた。しかしそんな必死さも無邪気な子供には無意味だったらしく、三人は興味なさげに「ふーん」と零して、そのまま商品である駄菓子を見繕い始めた。マイペースな子供たちに犬養の口角はひくひくと引きつる。
しばらく商品を前に三人できゃいきゃい騒いでいるのを犬養がボーっと眺めていると、買うものを決めたらしい子供たちが商品を抱えてレジまでやって来る。カウンターに並べられたバラ売りされているオレンジとイチゴ味の風船ガムとコーラ味のグミと棒状のコーンパフスナック菓子を見て、犬養は補充中にメモした駄菓子の値段リストを元にレジを打ち込んでいった。所詮は子供たちが自分のお小遣いで買う駄菓子なので、大した金額にはならない。
「じゃあ全部で五十円ね」
レジに表示された金額を子供たちに伝えれば、三人は財布と思わしき包みからジャラジャラと音を立てて円形の金属をカウンターに落としていく。あまりのずさんな支払い方に犬養のこめかみに一瞬血管が浮き立つも、とにかく冷静を装って金額を確認した。
普通であればそこには五十円玉が一枚か、十円玉が五枚並べられているはずである。しかしどんなに数えても枚数が合わない。五円玉が混ざっているが、十枚もない。それどころかどこの国のなのかわからない十円玉に似た小銭も多く混ざっていた。中にはビール瓶の蓋なんかも混ざっている。流石にこれでは商売にならないし、店長に怒られる。怒られるどころか絶対不採用だ。
「ちょっと君たち、これじゃあ駄菓子売れないよ……ってあれ?! もういない?! 」
不採用だけはどうにかして避けたい犬養が子供たちに正しい金額を払うよう注意しようとカウンターの向こう側へ目をやれば、三人の子供は忽然と消えていた。そしてカウンターに置かれていた駄菓子もいつの間にか全て消えている。一瞬思考が追いつかず固まるも、商品をパクられたと察して顔を青ざめさせた犬養は、大きな音を立てながら慌ててカウンターから離れて店先へ飛び出た。どうにかしてあの子供たちを追いかけようとするも、その姿はどこにもない。臭いが特徴的だったからそれで追えるかとも思ったが、何故か薄くなっていてわからなくなっている。これ以上店を離れる訳にもいかないので、店長に素直に話すかそれとも言い訳をするかと青ざめながら悩んで、重い足取りで店内へと戻った。
しかし大きな音を聞きつけたらしい店長がのそのそと奥の部屋から様子を見に来ており、犬養は滝のように冷や汗を流す。彼の脳内はものの見事にパニックを起こして思考が瞬時にぐちゃぐちゃになった。
「よー、バイトくん。店先に出てどうしたの」
「あー、いや、その……」
はっきりとしない犬養に店長は煙草を咥えたまま訝しむ。怒られたと思った犬養はしどろもどろになりながらも、頑張ってつい先程起きた出来事を報告した。
「店長……すみません。痣と臭いが特徴的な三人組の子供たちが金額を間違えまして……注意する前に逃げられて……」
シュンと明らかに反省していますと言いたげな面持ちで語る犬養に、店長の表情は元のやる気ない顔に戻った。
「ああ、なんだあいつらか。そういう時はな? 『もう二度と来んな! 』と叫べばいいから」
「はぁ……」
「そうすれば明日また来る」
ここ一番のドヤ顔を見せる店長。
「ダメじゃん! 」
店長が怒っていないことがわかったが、あまりの参考にならないアドバイスに犬養は思わず唾を飛ばす勢いでツッコむ。そんな彼に店長は呆れながら紫煙を吐き出した。
「しゃーないだろ、あいつらはお前と違って学校通ってねぇんだから。小さい鉄の塊の違いなんざわからんだろうよ。どーせ金もその辺で拾ったもんだろうし」
「金以外のものも混ざってましたけど」
「あ、マジ? それは頂けないな。次来たら叱っといてくれ」
「そこは店長自ら叱ってくださいよ! 」
店長のやる気の無さがヒシヒシと伝わり、犬養の眉間にはシワがこれでもかと深く刻まれている。はぁーと盛大に吐き出されたため息は、店長に対する呆れなのかそれとも疲労から来ているものなのかは本人にしかわからない。
「そもそもあの子たちは何なんですか?人間……ではないですよね」
どうにかして眉間のシワを伸ばそうと己の人差指で眉間をグリグリと伸ばしながら言葉を続ける犬養。
「さあ?なんかの妖怪か宇宙人じゃないか?客には変わりないからあまり邪険にはすんなよ」
奥の部屋へ戻りながらもさらっと言われた店長の言葉にどっと力が抜ける。話を聞く限りではよく来る常連さんのようだし、この件で自分が不採用にはならないとわかって安心したようだった。
それにしてもこの駄菓子屋は変な子しか来ないなと改めて犬養は思う。先程のあの三人組も何者だったのだろうか。臭いが人間にしては特徴的すぎるし、顔の痣も忘れられない。何かの妖怪だろうかとカウンターに戻りながら考えていると、彼のお腹から情けない音が鳴り響く。気が抜けたことで小腹が空いたようだ。
「バイトくん、手ぇ出せ」
一度奥の部屋に戻った店長が何かを持ってこちらへやって来る。
言われた通りに犬養は手を出せば、袋一杯に詰められた駄菓子を押し付けられた。
「今日の駄賃兼休憩のお菓子だ」
「……バイト代出ないのでは?」
採用試験中で正式なバイトではない犬養は、渡された袋一杯の駄菓子を怪訝な顔で見つめた。
「金は出さんが、菓子ぐらいは持ってっていいぞ」
いつの間にかカウンター上に置かれた灰皿に吹かしていた煙草を押し付けて苦笑しながら店長は言った。
ちょうど小腹が空いたところだったし、予想外の報酬に犬養の表情はパッと明るくなった。早速何か食べようと袋を開けてガサゴソと漁れば、中にチョコレート系の駄菓子がないことに気づく。そんな彼の様子に気づいたのか、おっさんはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「キミ、チョコ系ダメだろ」
教えた覚えもない店長の発言に、袋の中を漁っていた犬養の手がピタリと止まる。そして油の切れたロボットのようにギギギとぎこちなく顔を店長へと向けた。
「何でわかったんですか……? 」
「さあな?」
犬養の疑問をはぐらかすように、店長は次の煙草に火をつけながら再度奥の部屋へと戻っていった。
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