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地味に面倒くさい裏方業務は店長が全てやってくれているので、タダ働きを初めてから太陽が五回昇る頃には犬養も自身の業務に慣れてきた。
今日も今日とて採用試験頑張りますかと、控室でもある奥の畳部屋でエプロンを身に着けていれば、どこかへ出かけていたらしい店長が入って来た。
「よーう、バイトくん。今日もよろしくな。──あ、そうそう」
定位置であるパソコンの前で胡坐をかいた店長は、何か思い出したらしく売り場へ向かおうとする犬養を呼び止めた。
「昨日から怪しい人間が出たらしいから警戒しといてくれや」
「はあ……怪しい人ですか。唐突ですね」
なんとも抽象的な言葉に、犬養は振り返りながら言葉を返す。
「そ、怪しい人間。子供らに何かあったら大変だからそこんとこよろしく」
「よろしくも何も……そもそも人間不信の店長はどこからそんな情報得ているんですか? ご近所付き合いとかめちゃくちゃ悪そうですけど」
不思議だと眉間に浅く溝を掘らせた犬養に、店長は面倒くさいと言わんばかりに口を開く。
「人間嫌いだからこそだよ」
「いやいや、理由になってませんって」
「十分すぎる理由だと俺は思うけどなー? 」
頬杖をついてはふて腐れたように唇を尖らせる店長。そんな中年男性の言い分に犬養は納得した様子は見られない。
「オレは思いませんけど……あ、もしや例の唯一信頼できる人達からですか? 常にパソコンと向き合ってますから連絡は取りあってそうですし……」
「今時パソコンでなくとも、スマホでも連絡は取れるでしょーが。ほらほら、さっさと持ち場へ行った行った」
まるで自分の事は話したくないと主張するように犬養を部屋から追いやる店長。
店長の怪しい態度に不審に思いながらも、渋々部屋を出ていく犬養。もしかしたら店長の人間不信の理由が聞けるかもしれないとどこか期待していたが、もしかしたら思い出したくもないトラウマ級の何かがあったのかもしれない、もしそうならば根掘り葉掘り聞くのは失礼に当たるなと無理矢理自分自身を納得させた。
早速売り場へ出れば、客である子供たちが今日もワイワイ駄菓子を物色していた。犬養がいらっしゃいと一言言えば、彼の存在に慣れた人間ではない子供たちがこんちゃーと元気よく挨拶するも、すぐに駄菓子に集中する。こうなればしばらくは手を抜けることを学んだ犬養。愛用品になりつつある木箱を引っ張ってきて腰を掛けた。子供たちが商品を持ってくる、あるいは話しかけてくるまでは比較的自由時間。彼らが万引き等悪事を働かないかということに注意しながらも、犬養はエプロンのポケットに突っ込んでいた文庫本を取り出して前回の続きから読み進めた。
駄菓子屋には甲高い声とページを捲る小さな音と近所の環境音しか流れていない。その心地良い雰囲気に寄り添いながらしばらく文字の行列を目で追っていると、くんっと嗅ぎ慣れない臭いが犬養の鼻をかすめた。痣が特徴的な三人組だろうか、それとも他の常連である人外の子だろうか。そうならば見覚えのある臭いがするはずだと犬養は首を傾げた。
「(ならば誰だ……新しい子か? )」
知らない臭いに首を傾げながら顔を上げる。カウンター向こうにいる賑やかな人ならざる集団とその周辺に注目するも、見慣れない姿は何処にもない。しかし臭いは未だに犬養の鼻をつく。
偶々そのような変わった臭いを感じてしまったのだろうかと再び手元にある文字の羅列へ視線を戻そうとした時だった。
偶然に偶然が重なり、店先の、それもそこそこ離れた物陰に何かがいるのを犬養は見つけてしまった。
裸眼の割には視力がさほどいいわけではない犬養には詳しくそれが見えた訳ではないが、人型ではあるなと確信はできた。そしてそれは深く帽子を被っているようで顔がわからない。わからないが、それは明らかに駄菓子屋を凝視していることはわかった。そして犬養は直感的にそれが人間だなと察することもできた。
そこでふと、数十分前の店長の言葉を思い出す。
「(怪しい人間、だっけか)」
どこからどう見ても怪しい人間だな、と一人納得する犬養。これだけ怪しければ誰だって警戒するなと思いながら、相手にバレないように犬養もひっそりとそれを観察した。
もし少しでも怪しい行動をするようならば声をかけに行った方がいいよなと犬養は思うも、相手はただこちらを凝視するだけで、子供たちに害を与えるどころか動く様子もない。あまりにも動かないので逆にそれが怪しく見えてくる。
「なー、バイトのにーちゃん。これちょーだい」
怪しいそれに注視していれば、子供特有の高い声が犬養を現実へ引き戻す。ハッとして慌てて業務に戻れば、カウンターには3つほどヨーグルト風味の駄菓子が並べられていた。
「えっ、あっはいはいそれね。ちょっと待ってて」
急いで値段をレジに打ち込むも、どうもあの物陰の人型が気になってしまう。やっぱ声をかけた方が……と数字を打ち込みながら思う。しかしカウンター向こうには子供たちが行儀よく並び始めてしまい、今すぐどうすることもできない。まあ特に変な動きはないから後で店長に報告するか……と自分を無理矢理納得させて、犬養は業務に集中したのだった。
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