旧友

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厨房の皆さんの品良く丁寧に作られた料理がテーブルに並んでいく。料理の知識を知らずにただ言われた卓番へ運んでいた時とは気持ちの達成感がまるで違った。端に立ち一口また一口と料理を運んでいくお客様を見ればその顔は間違いなく微笑んでいた。奥の厨房に居る早瀬さん達もこんなに喜んでくれているお客様の表情をその都度見られたらもっと仕事も楽しくなるんじゃないかなと思ってしまう。 それからも厨房からのベルを聞き次から次へと料理が出されソルベ、肉料理(ヴィヤンド・レギューム)等々、その都度早瀬さんが私に優しく説明を加えてくれる。 「高嶺さん大丈夫?休憩終わって後半ずっと料理の説明ばかりで頭パンクしてるんじゃないかなって思ってさ。」 厨房の側でドリンクを飲んでいた私を気に掛け早瀬さんが声を掛けてくれた。 「あ、はいっ、本当はメモ取りたかったんですけど時間無いので出来るだけ頭に記憶はしました…って言っても抜け落ちてるとは思いますが。」 「うんうん。分かるよ。メモ取りたくなる気持ち。けど何回でも教えられるから気になるとこあったら俺に聞いて大丈夫だからね。」 「そう言ってもらえると安心します。」 「あはは。それは良かった。まだこの後も予約あるけど頑張ろう。頑張ったらスープあるよ。」 ニコリとまた微笑んで早瀬さんは持ち場へ戻って行った。早瀬さんの笑顔は疲れを感じてきた今の私の最高の癒しになった。 「もうあの四名様のデザート出るわよね。高嶺さん一緒に持って行きましょう。」 早瀬さんの笑顔に癒されてばかりも居られずに岩永さんの一言で私は我に返る。 チンとベルが鳴りデザートが出てくる。 「はい。デザートのクリームブリュレね。」 表面の焦がした苦いキャラメルと濃厚クリームが口の中で抜群にマッチする。 「クリームブリュレ…あぁ糖分を欲してます私。」 「そうね、今日は高嶺さん覚える事沢山あったしね。」 「はい。しかもこの焦げ目が本当に美味しそう。」 するとまだ近くに居た早瀬さんが口を開いた。 「砂糖の種類によって焦げる差があるんだよ。」 「え、そうなんですか?砂糖ってグラニュー糖しか思い浮かばないな。」 カソナードと言ってサトウキビ100%でフランス産のブラウンシュガーを使用しコク深いお砂糖。均一に溶けやすいそうだ。 「そうなんですか。砂糖は砂糖でも種類によって特徴も異なるんですね。まだまだ勉強しないとな。」 「あんまり聞く人居ないと思うけどもし聞かれたらそう答えてね。あ、また待たせちゃったね、岩永さん。じゃあ二人でお願いします。」 「まぁ良いけど。勉強中だし。」 「お待たせしました。運びます。」 岩永さんは相変わらずお手本になる美しい姿勢で両手にお皿を手にしホールへと向かう。ここでの仕事はまだ半人前だけど厨房に行けば早瀬さんがそしてホールに行けば岩永さんが居てくれてこんな私をサポートしてくれる二人はとてもありがたい存在だと改めて思えた。優しい先輩達に恵まれた環境の中で忙しいとか疲れただの少しだって口にしたら罰が当たってしまう位に。 岩永さんとデザートを運びその後も予約のお客様が来店しコースを召し上がり何事も無く今日という濃い一日が終了したのだった。 「高嶺さん。」 岩永さんや他のスタッフの方達は一足先に上がり私は一人最後の片付けをしていた。するとそこにもう上がったと思っていた早瀬さんが厨房からひょこひょこっとホールに出てきた。 「お疲れ様です。てっきりもう上がったのかと思ってました。」 「だってほら約束してたから。」 「約束…スープですか?」 笑顔でうんうんと頷く早瀬さん。 「厨房に用意しておいたから来て。」 「ありがとうございます。嬉しい。」 「お腹も空いてるでしょ?」 「ペコペコです。」 私は目の前の作業を終わらせ厨房に行くと何時も料理が出される台にスープが用意してあった。厨房の中から早瀬さんがグラスワインを二つ手にしスープに近寄るとまるで立ち呑みバーにでも来た雰囲気に感じた。 「どうぞ。」 スッと私の前にグラスワインを差し出す。長い指が妙に色気があった。 「あり、ありがとうございます。でもこれ呑んで大丈夫なんですか?」 「あ、これ?これ俺が買って来たの。たまにさ料理の研究で居残りしてるからその時にちょっと吞んだりするんだ。」 「わぁ。勉強熱心なんですねやはり。」 「熱心て程でも無いんだよ。さ、スープ飲んでみて。その前に乾杯だね。」 カチンと軽くグラスを合わせ一口流し込むと今度はスプーンに持ち替えてスープをそっとすくい上げ鼻に持っていった。 「香りも良いですね。頂きま~す。」 「召し上がれ。」 「…はぁ。もう美味しいしか出て来ない。この滑らかでさり気ない甘みは早瀬さんだから作れるって納得しちゃいました。人柄が出ているというか。この味付け私好きです。」 「高嶺さんて人を恥ずかし気も無く褒めれるんだね。なんかそんなに直球で褒められたらこっちが恥ずかしくてどうして良いか分からなくなるよ、あはは。」 …ん?誰?今の笑い声。 私は忘れ物を取りに戻っていた。すると何やら厨房の方から男性の笑い声が聞こえてきた。だけどすっかり私はその事を忘れていた。 「はい。恥ずかしいなんて思った事無いです。単純にありのままを言っているだけって感覚しか無いですね。でもそれが早瀬さん困っちゃいました?」 「う、うん。いや、勿論嬉しいよ。けどあんまり昔から褒められ慣れてないっていうか…あぁ…また恥ずかしくなってきた。」 「あはは!」 耳迄真っ赤になった早瀬さんが可愛くてつい余計に目線を向けてしまう。 私はそおっと厨房の入り口から中を覗くと早瀬さんと高嶺さん共に笑顔を見せ合いリラックスした感じで談笑をしていた。それは私なんかが割って入れる雰囲気でも無く完全に二人の世界が広がっていたのだった。 私は音を立て無い様に少しずつ後ずさりし忘れ物の水筒を手にしその場を後にした。胸の中でぐちゃぐちゃな思いが私を取り乱していく。 私だってあんな風に早瀬さんが高嶺さんに向ける笑顔で教えてもらいたかったのに。
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