君を想って

3/13
前へ
/137ページ
次へ
「高嶺さん。聞いたよ。本当なの?転勤の話。」 朝更衣室に行くと堺さんが私を見るなり話し掛けてきた。お母さんがお店側に話したみたいだ。 「はい。残念ながらそうみたいなんです。」 少し曇った表情で返事を返す。 「え?その様子だと高嶺さんなんか納得してない感じだったりする?」 「実はそうなんです。私の知らない所で転勤の話だけが進んでいってしまったみたいで。家の親なんですけどね。」 「そうだったの?親とかならもう一度良く話してみたら何か変わるかもよ?だって高嶺さん居なくなったら私寂しいわよ。」 「私も堺さんと働いていたいです。話聞いたら今後を考えて私に沢山の事を学んで欲しいそうで…そんな理由でした。そんな風に言われてしまったらもう何も言えなくて。本当はプライベートもあるんで地方への転勤は辞退したかったんですけど。」 「そうよね。あの彼よね。」 「はい。何だか考える事が多くて正直頭パニックなんです。あっ、でも目の前にある仕事は最後迄頑張りますから。」 「分かったわ。私も色々悩んだりした人生だったけどどれもこれも時間が解決してくれるからきっと成るように成るわよ。さっ、時間だ。行こう。」 「はい。」 私の指導係で沢山の仕事を教えてくれた堺さんと離れるのは寂しい。けどそんな堺さんに恩返しをするつもりで最後の日迄頑張って勤め上げようと思った。 その日の仕事もとても忙しくて足を止める事無くホールを動き回っていた。堺さんも私も休憩に行けたのはもう仕事が終わる時間に近かった。お陰で抱えている悩みを考えずに済んだけれど。 「高嶺さんお疲れ。今日も忙しかったわね。」    更衣室で着替えながら堺さんが言う。 「はい。家の店知名度上がってきたんですかね?前よりもお客様増えた様な気がするんですけど。」 「それ私も思ったわ。やっぱりあのフカヒレラーメンのお陰なんじゃないかな。あれを商品化してデパートとかスーパーでも買える様にしたら身近な存在になってもっと広まるのかもね…なんて思ったりもする。」 「流石堺さん。商品化とは。考えもしなかったです。」 「こういうの考えるの好きなのよ。あっ、じゃあ子供待ってるから帰るわね。お先に~。」 「お疲れ様でした。」 堺さんが帰り私も着替えを済ませると更衣室を後にした。歩く度ふくらはぎがはち切れそうで早く帰って熱い湯船に浸かりたかった。 ガチャリと裏口を開けると当然の様に礼二が立って待っていた。私は礼二に顔を合わせる事無く駅に向かって歩き出すと礼二も横に付いてくる。礼二を側で感じながらの四文字ばかりがやはり頭を巡る。私の為とはいえ礼二がこの件に関係している事が私の中で腑に落ちないままでいた。もう一度今礼二に何故そういう運びになったのか聞いてみようか…まだ私には伝えていない何かがあるのかもしれない。例えば私がこのホテルの娘だから周りが陰で気をつかって実はやり辛い思いをしていてそれを耳にした礼二がお母さんに話をしたら転勤の話が持ち上がったとか。いや…それだけでわざわざ転勤させるかな。例えそうだとしてもまた新しい職場で同じ様な事が起こるかもしれないし。駄目だ。一人で考えてても答えは出そうにないな。   そんな事をあれこれ考えながら歩いていた時だった。街頭に照らされた道の向こうから腰の曲がったバケットハットを目深に被るお爺さんがゆっくりと私に近寄ってきた。 「あのすみませんが…。」 手には地図を広げている。
/137ページ

最初のコメントを投稿しよう!

455人が本棚に入れています
本棚に追加