新天地

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新天地

家族会議の直ぐ後にお母さんは私の転勤の段取りを手際よくしてくれてあれよあれよと言う間に来月にはもう引っ越しする事が決まり私も荷造りやら何やらに追われていた。お母さんも私のやる気を感じてくれたのか自分の事の様に張り切ってくれていた。 「雅っ、このダウンコート持って行きなさい。お母さんのだけど凄くあったかいから。」 「ありがとう。」 「そうだ、雅コーヒー好きだから勝手にコーヒーメーカーも注文しといたわよ。引っ越しの当日に着くから直ぐに飲めるわよ。」 「うん。」 「あと、下の階とお隣さんへのお土産この袋に入れておくから忘れずにご挨拶に行ってね。」 「…うん。」 「えっとそれから、、」 「お母さん。」 「何?」 「色々とありがとう。私の為に。」 「良いのよ。お母さんも雅が向こうで頑張るの応援したいんだもの。」 「私ね。あんな事件が立て続けにあって自分の存在をより深く理解したの。多分今までの人生で一番じゃないかなって位に。そしたら不思議とこの高嶺ホテルの事をもっと学んで私が護らないとって思う様になってきたんだよね。」 「学ぶだけじゃ無くてねぇ。お母さんが雅と同じ歳の頃はそんな風には思えなかったわ。逞しいし立派に成長してくれている様で嬉しいわお母さん。」 「一人前になるにはまだ先は長いけどとにかくあっちでバリバリ働いてスキルアップして来ます!」 「うん!頑張れ雅。」 そう言って私とお母さんはハグをして出発前に親子の時間を楽しんだ。 ズルズル…。 このフカヒレラーメンも暫く食べられないのかぁ。ちょっと寂しいな。 私はあと残り数日で居なくなるこのレストランのフカヒレラーメンをほぼ毎日の様に休憩中に食べていた。名残惜しい気持ちでいっぱいな胸に染み渡っていくこの味は私の涙を溢れさせる。そしてまた二年後にこれを食べた時、私はどんな感情を抱くのだろう…そんな事を思いながら餡の絡んだ麺をすすっていた。 「堺さん。休憩戻りました。」 ホールに戻ると私は堺さんに声を掛ける。 「は~い。またフカヒレラーメン食べたの?」 「はい。」 「あと僅かになっちゃったね。寂しいな私。」 「私もです。」 「でも今日はこの後行こうね!」 「はい!」 堺さんが私の送別会を個人的に開いてくれるそうで仕事の後食事に行く約束になっていた。本当は皆で開きたかったみたいだけどシフトの調整が上手くいかず二人で行く事になった。その日の仕事はそこまで忙しくもなく定時ですんなりと上がれてお互い着替えを済ませ隣駅の和食居酒屋に入った。 「あのね。今日は最後だしあの人も一緒にどうかな…なんて思ったんだけど。」 席に着くなり堺さんが私を通り越し後ろのカウンター席をチラチラ見ている。 「礼二もですかっ!?」 「そう。」 「いやっ、折角ですけどまだ仕事中ですから。」 「アルコールは呑まなければ大丈夫なんじゃない?」 「ま、まぁそうかもしれないですけど…。」 「呼ぼうよ、ね!私話したいの。この間の事もあるし。」 そうだ。後から聞いた話によればあの日礼二に私が泰幸君に会いに行ったと伝えてくれたのは堺さんだった。そういう意味では恩返しもしなくてはならない訳で。これがそれに見合う物にはならないかもしれないけど。 「わ、分かりました。」 堺さんに言われるがまま私はカウンター席に座る礼二の肩を叩き事情を話してその日は三人での送別会になった。
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