ホテル恋花

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他のホールの従業員への挨拶もそこそこに私は岩永さんに付いてテーブルセッティングの続きを教わっていた。 「グラスなんだけど一番大きなゴブレット、細長いシャンパングラス、底が丸い赤ワイングラス、赤ワイングラスより一回り小さい白ワイングラスをこんな感じで並べていってね。」 「はい。」 「じゃあこのテーブルを参考に他のテーブルも同じ様にお願いします。私あっちで作業してるから終わったら声掛けてね。」 「分かりました。」 私はグラスを割らない様に奥から運んで来るとまだセッティングされていないテーブルにそっと置いていく。そんな中でふと周りでフットワーク軽く動き回る従業員が目に入り早くここでの仕事を覚えて前のレストランの様にバリバリと仕事がしたいと強く思う自分が居たのだった。 グラスのセッティングが終わった事を岩永さんに伝えナプキン等の準備も整いオープンの時間を迎えた。私は最初パーティションの方から岩永さんの接客を観察し必要と感じればまたメモを取った。やはり斎藤マネージャーの言っていた通り岩永さんの仕事ぶりは素晴らしかった。その立ち居振る舞いはまだまだ日の浅い私には遠い未来の様に感じる程だった。岩永さんの接客したお客様の顔を見れば柔らかななんとも満足げな表情を浮かべていた。お客様にあんなリラックスした表情を引き出させてしまえるのは誰しもが出来る事では無いしきっと岩永さんだからこそ成せる技なんだと関心した。 「高嶺さん。これから料理が出るから高嶺さんも運んでみて。」 「はい。」 「リラックスしてね。」 「頑張ります。」 「ま、でも前のレストランとそこまで変わりは無いと思うけどね。あ、出るよ料理。」 岩永さんに促されて厨房に行く。そして料理ののったお皿を手にした時側に居た斎藤マネージャーが私に声を掛けてきた。   「この魚料理(ポワソン)はアジのコンフィと言います。オリーブオイルでじっくりと煮ているので身が柔らかく仕上がっています。ローズマリーを一緒に煮込んでいる為爽やかなほろ苦さを感じられるでしょう。」 「わぁ。良い香り。」 「たまに家で作ってみたりする時はその残ったオイルにパンを付けて食べたりしますね僕は。アジの旨みとローズマリーの香りが良く合っておいしいんですよ。高級店のマナー的にはNGみたいですけど家ならね。はは。」 「でも確かにパンに付けたくなる気持ち分かります。私も家で食べたらそうやって食べていると思いますよ。」 「分かってもらえて嬉しいです。ではあちらのお客様にお願い出来ますか?」 「行ってきます。」 緊張の面持ちで料理を手にする。岩永さんみたいに歩く時の姿勢や表情も明るくしないと。お客様は常に私達従業員を見ている。 「お待たせ致しました。アジのコンフィでございます。」 「わぁ。良い香りね。」 年配の御夫婦だと思われる奥様が目をキラキラとさせながら食い入る様に見ている。 「オリーブオイルにローズマリーを加えて煮込んでいますので食感は柔らかくそして甘い芳香をお楽しみ下さい。」 「そうなのね。楽しみだわ。」 「どうぞごゆっくり。」 軽く会釈をして岩永さんの元へ戻ると下の方でグッと親指を立てて合図してくれた。なんだかとても嬉しかった。この調子で私は料理やお酒を運んだりお客様が帰られたテーブルをリセットしたりと動けるだけ自分なりに動いてみた。流れ的には前のレストランと同じだけにコツは掴んでいてそれなりに動けたと思う。私は私で今迄働いてきたスキルを生かしてここでもっともっと頑張るんだ。 「高嶺さん。良い動きですよ。」 「ありがとうございます。」 私の仕事ぶりを見ていた斎藤マネージャーからお褒めの言葉を頂き気分の良くなった私はお昼のピークの時間帯が落ち着きお客様の居なくなったテーブルの片付けをしていた。お皿を重ねて両手に持てるだけ持ってシンクへと運んで行く。 ガシャ。 「お願いします。」 シンクを担当していた男性スタッフに声を掛ける。 「あの…もしかして二階の高嶺さんですか?」 「え、あっ、早瀬さん?」 背の高い彼を見上げるとあの愛嬌たっぷりの目でこちらを見ていた。 「やっぱり。新しく入った子の名前が高嶺って奥で聞こえてそうかなって思ってたんだよね。」 「そうだったんですか。奥で仕事してたので分からなかったです。あのアパートに住んでるって事はこのホテルの関係者かなとは思ってましたけどまさか同じレストランだとは偶然ですね。今後ともよろしくお願いします。」 「うん。よろしくね。ここの人達皆仲良いから楽しくなるよきっと。」 「はいは~い。早瀬さんいきなり口説かないで下さいね~。」 話に割って入ってくる岩永さん。 「口説いてません。ご近所さんなんだよ俺達は。ね?高嶺さん。」 「あぁ…はい。」 「そうなの?だったら早瀬さん高嶺さん可愛いから変な虫付かない様に行きも帰りも見張って下さいよ。」 「俺が?」 「そう。」 「大歓迎!あはは。」 「冗談ですよね?はは…。」 「まぁ冗談だけど、でもいざとなったら結構頼りになるからね早瀬さんは。柔道とかボクシング経験者なのよ。筋肉ムキムキ。」 「それは凄い。そんな方が近くにいれば安心です私も。」 やっぱり私と礼二が話していた事は的中していた。一階の早瀬さんはホテルの関係者であり偶然にもレストランの従業員だった。そして初日から斎藤マネージャー、岩永さんや早瀬さんと話しの出来る方にも恵まれて気持ちの良いスタートとなりあっという間に終業時刻を迎え様としていた。 だが…終わりに差し掛かる頃─────。 「うわっ、、バリ~ンッ!し、失礼致しました。」 緊張が解れたのか…いや違う。もう直ぐ仕事が終わりまた礼二と夜を過ごすと思ったら動揺して手元が狂ってしまったのだ。 初日で疲れているしベッドに入ったら礼二の事なんか考える暇も無い位にバタンキューよね今夜はきっと…。
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