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「人間合格者が出たぞ!」
歓喜と動揺の入り混じった声が、里内を駆け巡る。
ここは、とある狸の里の人間試験会場だ。
この試験は、人間の世界に住むことを目標とする狸に対して課される。
難易度は極めて高く、里内で100年に一匹、合格者が出るか出ないかというレベルだ。
そして本日、100年ぶりの合格者が現れた。
合格者の名は茶太。幾度となくこの試験に挑み、ようやく合格した。
そして、その日のうちに茶太は里を出た。
人間の街に着くと、茶太は生活を始める第一歩として仕事を探すことにした。
しばらく通りを歩いていると
大きな狸が描かれた看板が目に入った。
そこには「和喫茶 文福茶釜」という文字が記されていた。
窓に貼ってあるポスターを見ると
「バイト募集中 週4以上出勤可能な方 未経験可 急募につき飛び入り面接アリ」
と書かれていた。
これも何かの縁だ。
そう考えた茶太は、迷わず店の扉を開いた。
「こんにちは。面接に来ました」
茶太は店に入るなり挨拶をした。
その声を聞き、奥から初老の男が出てきた。
「こんにちは。それじゃあここに座って。早速始めよう」
促されるままに、茶太は店内の席に着く。
「初めまして、店長の釜田です」
「あ、初めまして。田中孝蔵です」
「孝蔵?中々古風な名前だね。履歴書は持って来てる?」
「はい、これです」
茶太は、里で葉っぱから変化させた履歴書を店長に渡す。
「なるほどね。大学生か。シフトには結構入れる?」
「はい、最低でも週4は入れます」
「じゃあ、採用で」
「え?」
「明日からよろしくね」
「はい!ありがとうございます」
あまりにあっさりと採用が決まったので拍子抜けした茶太は、喫茶店を後にし、次の目的である棲家を探すことにした。
四六時中、変化しているとさすがに疲れ切ってしまうため、元の姿で過ごすことができる場所が理想だ。
すぐに良さげな公園を見つけた。草むらも完備されていて、狸として住むにはもってこいの場所だ。
茶太は変化を解き、草むらに入った。
しかし、そこには野良犬がいた。
確認してから入るべきだったと茶太は後悔したが、もう遅かった。
縄張りに侵入された野良犬は茶太に襲いかかった。
鋭い犬歯が茶太の毛をかすめる。
体格的に勝機はない。
今すぐ逃げるべきだが、そう簡単には撒けない。
ここで終わるのか。
そう諦めかけたとき。
横から野良犬よりも大きな生物が割り込んできた。
人間の男だった。
男は木の棒を振り、野良犬を追い払った。
そして、野良犬が遠くに逃げた後
茶太の方を向き、傷がないことを確認すると、そのまま公園から出て行った。
男によって生命の危機から脱することができた茶太は、その安心感から、すぐに眠ってしまった。
翌日、草むらで変化を済ませて、バイト先へ向かう。
「おはようございます」
「おはよう。裏に君のロッカー用意しといたから、着替えて来てね」
言われた通り、バックヤードで制服に着替えた。
姿見で自身の姿を確認していると、ドアが開き、誰かが入ってきた。茶太は店長が来たのかと思ったが、その予想は外れた。
そこにいたのは、茶太を野良犬から助けた、あの男だった。
彼は茶太に気づき、
「新しいバイトの人?」
と話しかけてきた。
思わず茶太は、「昨日はありがとうごさいました」と言ってしまいそうになったが、それを制して、初対面の振りをした。
「そうです。田中って言います」
「俺は鈴木。よろしくね。1年ぐらいここでバイトしてるから、何でも聞いてね」
「ありがとうございます」
そんな会話をしているうちに始業時間10分前となった。
店長から呼び出され、接客の説明を受けた後、彼のバイト生活がスタートした。
茶太はそれから、ほぼ毎日シフトに入り、人間として暮らし始めた。
茶太は狸だということがバレずに人間社会に溶け込みつつあった。
鈴木をはじめとするバイト仲間とも良好な関係を築き、茶太は充実した生活を送っていた。
しかし、そんな生活に慣れてきた彼は油断してしまった。
バイト中、皿を割った時の驚きで変化を一部解いてしまい、尻尾を出してしまったのである。
運悪く、同じキッチンには店長がいた。
店長は茶太の尻尾を見るなり、こちらに近づいてきた。
「ちょっと裏行こうか」
店長は、尻尾が生えていたことには、何の疑問も示さずに、ただ茶太を裏の倉庫に連れて行った。
そして店長は話始めた。
「田中くん。尻尾は出しちゃダメだね。変化は常に維持しておかないと。人間がいたらアウトだったよ」
変化のことを知っている店長の様子に茶太は困惑した。
「え?何言ってるんですか?尻尾って何のことですか?」
「いやいや、隠さなくて大丈夫だよ。ほら」
名刺代わりと言わんばかりに、店長は自らの尻尾を見せてきた。
狸の尻尾だった。
「私も狸さ。人間界での実地試験の担当なんだ。まだ試験は終わってなかったんだよ」
驚きのあまり、茶太はもう一度尻尾を出しそうになった。
「変化が解けた時点で里に強制送還されるのが通例だけど、今回は大目に見てあげよう。課題をクリアしたら実地試験は合格としよう」
強制送還という用語を聞き、茶太は身の毛がよだった。
「課題って何ですか?」
恐る恐る茶太は質問した。
「鈴木くんに成り代わることだよ」
「成り代わる?」
「そう『成り代わる』んだよ。君がここで暮らしていくために必要なことだよ。だって君は戸籍上は存在してないんだよ?この店でバイトするぐらいだったら問題ないけど、狸が店主じゃなかったら成り立たないよ?」
茶太は黙って店長の話を聞く
「だったら、元いる人間を消して、その人間として暮らしていくしかないよね?」
消す?人間を?殺すってことか?どうしてそんなことを...茶太の頭の中は混乱していた。
「どうしてそんなことしなくちゃいけないんだ、って思ったでしょ?それはね、里が狸を人間界に送る目的があるからだよ」
さっきから新出の言葉ばかり出てくるため、茶太は頭が痛くなってきた。
「少しずつ人間を減らし、狸が人間界を掌握することだよ」
「君は知らないかもしれないけれど、人間の森林破壊活動によって里が年々縮小しているんだよ?このままそれを許しておいていいのかい?絶滅しちゃうよ?」
「鈴木くんは都合がいいと思うよ。彼、このバイト辞めて就職するし。新しい環境に移る時期はやりやすいし」
「期限は1週間後。それまでに私たち狸の崇高な計画に参加するか、尻尾巻いて里に帰るか決めといてね」
店長は矢継ぎ早に言い残し、仕事へ戻って行った。
どうしよう。僕が人間界に向かわされたことに、そんな目的があったなんて、『成り代わる』。そんなことしたくないよ。でも人間界にはまだいたい。どうすればいいんだ。茶太は頭の中で考えを巡らせた。
そして茶太はある決心をした。
その日のバイト終わり、茶太は鈴木と横に並んで歩いていた。
2人は公園の近くまで帰り道が被るので、そこまで一緒に歩くのが日課になっていた。
いつも別れる地点に着いて
「おつかれーまた明日」
鈴木は茶太に別れを告げて家路に着こうとした。
「待ってください!」
鈴木は少し驚き、こちらを振り向く。
「どうしたの?」
「ちょっと公園で話しませんか?」
鈴木は少し不思議そうな顔をしながら
「いいよ」
と茶太に答えた。
日も暮れて、街灯が着き始めていた。
その街灯はベンチに座る、2人を照らしていた。
茶太にはその光が、実際よりも眩しく感じられた。
30秒ほどの沈黙の後、茶太は話し始めた
「鈴木さんって、バイト辞めるんですか?」
「うん。就職決まったからね。店長に聞いたの?」
「はい。それで聞いてほしいことがありまして...」
茶太は、自らのスマホを取り出して、先程の店長との会話を鈴木に聞かせ始めた。
会話を聞かせると
「何これ?どういうこと?何の話をしてるの?狸?」
狼狽える鈴木の前で、彼を納得させるために、茶太は変化を解き狸の姿に戻った。
「僕は狸なんです。さっきの録音は全て真実です」
鈴木は、目を丸くして、狸となった、というより本来の姿を表した孝蔵を見つめる。
「まさか狸だったなんてね。ということは、今から俺を消すってこと?」
「うーん...半分正解です。まぁ鈴木さんが了承してくれたらの話なんですけど」
3ヶ月後
都内某所のアパートにて
「ただいまー鈴木さん。今帰ったよ」
「お帰り、茶太。仕事はどうだった?引き継いだこと全部やってくれた」
「うん。ばっちりだよ」
「最初のうちは、全然上手く行かなかったけど何とか出来るもんだね。まさか茶太が2人で俺になろうと言った時はびっくりしたけど」
「我ながら、良いアイデアだったよ」
「1人分の仕事を隔週で2人に分けてやるからすごく楽で助かるよ」
「1人消してまた1人新しく作るんじゃなくて、2分の1×2すれば結果は一緒だからね」
「いやー俺社会人になって一人前になれるかと思ったけど、これじゃ半人前に逆戻りだよ」
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