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21 宣言
―――あ、俊哉? よかった、まだこの番号だったんだな。
突然の電話の主は、涼の兄・巧からだった。
巧から突然の、しかもかなり久しぶりの電話がかかってきた時、永井俊哉は大介たちと講義室の隅で授業を受けていた。 巧と携帯で電話したことは1度しかない。涼と付き合っていた頃、用事があって番号交換をしたが、それ以来1度もかける 機会はなかった。かといってメモリを消す必要も無かったので、そのまま残っていたのだ。何事かと思って廊下で電話に出た俊哉に、巧はそう言った。
―――どう、したんですか。なんかあったんですか?
―――あーいや。ちょっと気になることがあってな。…お前、これから涼のところに行ける?
巧は、俊哉と涼が別れていることを知らないようだった。涼に関わる用事だと、なぜ電話に出る前に気付かなかったのか。咄嗟に言葉に詰まった俊哉に気付かず、巧は話し続ける。
―――さっき屋敷の取り壊しで電話かけたんだけど…なんか様子が変でな。
―――屋敷…? どういうことですか。
―――は? お前、屋敷の取り壊しのこと涼から聞いてないの?
―――…聞いてないですよ。…別れましたから。
な、と一文字だけ発音して巧は絶句してしまった。俊哉にはその沈黙すら痛かった。
―――それは、もういいんです。巧さん、オレが涼の彼氏だから頼んだんだったら、他当たってください。
傷は、全く癒えていない。忘れる努力もしていないせいか、改めて驚かれると気分はよくない。
なかば言いっ放しで電話を切ろうとした俊哉の耳に、巧の慌てた声が届く。
―――ちょっと待てよ。いったいいつ? なんで別れた?
―――もうだいぶ前ですよ。卒業式の前には別れてました。オレは、全然忘れられてませんけど。
巧はまた絶句している。嵐と初めて会ったときのような苛立ちを覚えて、俊哉は早く教室に戻りたいと思った。だが巧がそれを許さなかった。
―――…無神経なことを聞いて悪い。だけどこれだけ聞かせてくれ。涼が振ったのか? なぜ?
巧の声色に、何か別の勢いを感じて俊哉は一瞬眉を寄せる。
―――…他に…好きな男がいるから、って言われました。それももう、オレと付き合う前からって。
どん、と電話の向こうでひどく鈍い音がした。
巧が何かに体をぶつけてしまったらしい。巧が動揺している。それに気付いて、俊哉は携帯を握り直した。
―――どうしたんですか? なんでそんなに…。
―――俊哉。お前、大至急で栃木まで帰ってくれないか。
そして、有無を言わせない語気で、俊哉の言葉に重ねてきた。
―――お前に止めて欲しい。涼を。
何のことを言われているのか、さっぱりわからなかった。屋敷の取り壊しがあるのはわかったが、それでどうして涼が俊哉に止められなければならないことをするのか。返事をしかねている俊哉に、巧はせわしない口調で続けた。
―――お前はな、振られたら駄目なんだ。俺の勘が正しければ、あいつは今栃木に向かっている。あの屋敷に。でも行ったら駄目なんだ。俊哉を振って、他の男が好きだなんてお前に言ってるあいつを―――
―――ちょ、た、巧さん? 落ち着いてください。意味がさっぱり…。
―――とにかく栃木に戻ってくれ。理由は多分、屋敷に行けばわかる。間違ってたならそれでいい。とりあえず俺の頼みを聞いてくれ!
巧は電話の向こうで、なりふり構わず叫んだ。
おそらく会社内かどこかで、仕事中だったに違いない。
わけがわからなかったが、とにかく栃木に戻ることにした。バイトの代わりを探すのに手間取ったが、なんとか夜までには栃木に行ける特急に乗れた。あんなに取り乱した巧は見たことがない。
涼に何が。巧はいったい、何をそんなに危惧しているのか。
屋敷の奥の襖から、橙色の明かりが漏れていた。
誰もいないはずの屋敷に、人がいる。電気の通っていない屋敷はどこまでも暗くて広い。半年前までは俊哉も出入りしていた屋敷なのに、別物のように思える。
廊下も明かり一つ無くて、まるでブラックホールにでも突き落とされたかのようだ。
あの明かりの灯る部屋まで、どのくらいの距離なのだろうか。
俊哉は知らず、ごくり、と唾を飲み込んだ。
涼はあの部屋にいるのか? なぜ?
<大丈夫なのかよ…>
もしかしてあの部屋にいるのは、涼ではなく全くの別人なのではないか。
懐中電灯代わりに開いていた携帯で、電話をかける。巧にかけた。5コール鳴っても巧は出ない。取り込み中かもしれない。 今度は、意を決して涼にかけた。慣れ親しんだ、暗唱もできる涼の番号。
ふと、奥の部屋で誰かが動く気配がした。何をしているのだろうか。明かりしか灯っていない部屋で。俊哉は携帯を持ったまま、ゆっくりと部屋に近づいた。
「…………」
女の囁き声が聞こえた。聞き知った、いや、聞きたくて聞きたくてしょうがなかった声。
<…まさか、ほんとに>
動悸がいつのまにか狂っていたことに今更気付いた。あの部屋に、涼がいる。
だが部屋にいるのは一人ではないようだった。誰と何をしているのだろうか。
何の想像もせずに襖を開けた俊哉は、部屋の中を見て自分の心臓が軋む音をきいた。
心底愛して忘れられない女が、その兄だという男と裸で抱き合っていた。
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