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部屋の中に、不穏な沈黙が訪れた。
外は相変わらず激しい雨が屋敷の屋根を叩いている。
「…涼、とりあえず服、着てこいよ」
誰にも破れないと思うほどの濃い沈黙は、嵐の静かな声でいとも簡単に途切れた。
「…あ、…うん」
「―――涼、」
隣りの部屋へ行きかける涼へ、俊哉が思わず声をかける。振り向いて目が合うと、涼との距離が今まで以上に開いてしまっていることに唐突に気付いた。
「…なんでもない」
何を話しかければいいのか、もうわからない。
ただ名前を呼んで振り向いてくれたことが、なぜか涙が出るほど嬉しかった。
「…ごめん。…俊哉」
もう一度、同じ言葉を繰り返す。謝罪がほしいのではない。こんなの嘘だと否定する言葉がほしいのに。
涼は何も言わない俊哉を見て、隣の部屋へと入っていった。ぱた、と襖が静かに閉じられる。
「気持ち悪いって思わないのか?」
嵐の声が、俊哉の心の乱れと真逆の雰囲気で俊哉の耳に届く。
<―――なんだってこいつは>
会話をするのさえ、忌々しい。
「…思うさ。だから納得できないんじゃないか。こんなの普通じゃない。…兄貴のお前がそんなんだったら、オレが修正させるしかない。その役は、オレじゃなきゃできない」
「放って置こうって意思は?」
「どういう思考回路だったらそういう質問がでてくるわけ?」
愚問としか言い様がない、と俊哉は思う。大真面目な顔をして、何を言い出すのかと思えば。
「お前、こないだオレに会いに来たときなんて言ったよ。涼を救えるのはオレだけだって、そう言ったじゃねぇか 。あれだってお前の本心だろ? なんで今更後ろ向きになってんだよ。もっと前をよく見ろよ」
「オレにとっての『前』には、涼がいた」
「――――な」
「前を向いたら涼がいた。それだけだ」
絶句した。信じられない言葉を、嵐は津波のように畳み掛けてくる。
――――兄として、あいつを頼む。
おかしいくらいに気持ちの籠もってなかった言葉。あの時も嵐の口から出てくる言葉の数々に自分のペースを乱されたが、あの時とは確実に違う何か。
<こんな男だったのかよ>
人形みたいにただ整った顔をした、考えの読めない無機質な男ではない。
今目の前にいるのは、好きな女を渡すまいと立ちはだかり独占欲を隠さない、熱い男。
ぞく、と背中に鳥肌が立った。
「…なにが…前、だよ…。―――お前のそれは、ただの歪んだ兄妹愛じゃねぇかよ!」
嵐は浴びせられる言葉を、表情一つ変えずに受け止める。
真っ直ぐに俊哉を見据えたまま、隣りの部屋の涼に声をかけた。
「―――もう終わった?」
黄みを帯びた白い襖の向こうから、涼の短い答え。その時、嵐の視線が足元に落ちたことに俊哉が気付いた。
と、ほぼ同時に嵐が俊哉の足元のランプを蹴り上げた。
ガッシャァン!
薄い窓ガラスにランプが直撃し、派手な音を立ててガラスが割れた。
「!! ―――おい、如月…っ!」
俊哉が咄嗟に身構えて腰を低くしたと同時に、嵐は体を翻して隣りの部屋へと滑り込む。
唯一の照明だったランプが外へ蹴りだされ、濡れた地面に落ちて壊れてしまっている。外は月明かりもない、真っ暗な闇。ただ夜の闇を縫うように雨の雫が次から次へと降ってくるだけ。
「―――しま…っ!」
俊哉が全てに気付いたときには、もう遅かった。
嵐は涼が服を着ていた部屋を抜けて、その場から駆け出していた。
二人の足音さえもかき消して、夜の雨は降り続いている。
第2部 終
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