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 史香はスーツケースに喪服と間にあわせの着替えと化粧品を詰めて電車に乗った。実家は関東の、海の近くに有る。以前は度々足を運んでいたが、今はお正月やお盆以外は行っていない。今は一人なので何の気負いも無いのだが、離婚した夫の言葉が未だ息を吹きかけて来る。  下り電車に揺られながら文子がどう生きてどう死んだのか考えようと努めた。が、何も分からない。想像も出来ない。いや絵として思い浮かべられる光景情景は有るが、それに文子を当てはめることがどうしても出来ないのだ。そもそも文子については分からないことだらけだ。文子が小説を書かなかったのは、批評家にすらならなかったのは何故なのか、両親の推薦を酷い言葉で拒絶してまで文字を書かなかったのは何故なのか、中学生になってから出奔を図るまで史香に執拗な言いがかりをつけてきたのは何故なのか、分からない。分からない、分からない。本当に分からない。あんなに才能が有ったのに……史香はそれに対して早い段階で文子を相手することを止めた。才能が有るのにそれをむざむざ捨ててしまう人間ほど理解出来ないものも無い。  実家に着いた時、既に空は夜が深かった。玄関を開けると頼子が出迎えてくれた。頼子の顔は、電話を終えた後もずっと泣いていたのだろう、泣き腫らしていた。慰めていると父の慶史郎がボストンバッグを持ってこちらに向かって来る。  「ああ、史香。原稿はきちんと上がっているだろうな?」その言葉に史香は頷く。慶史郎のその言葉は彼独特の挨拶だ。天野家では当たり前に交わされる、他人にはまるで文学以外のこの世の何もかもに無関心に聞こえる、世界から切り離したような時候の言葉を交わす度に自分は天野家の人間だと思うことが出来ていつも嬉しかった。  「姉さん、今までどこに住んでいたの?」と史香が聞いた。  頼子は涙を拭いた。頼子の口から出た地名は史香の知らない場所だった。また文子に対してことが増える。  「さぁ、早く車へ」と慶史郎が二人を追い立てる。「今から行けば今日中に着くだろう」  「えっ、どこに泊まるの」  「文子が住んでいた近くの駅前の、ビジネスホテルだ」と慶史郎は素っ気なく言った。  高速道路を走る車の中は静かだった。頼子の鼻を啜る音しか聞こえず、ラジオもつけないから文子が死んだ火事のニュースに続報が入っているか否かも分からない。史香は仕方なくインターネットで検索した。地方ニュースの記事の一つに一軒家が全焼したこと、その家に住んでいる一人暮らしの女性の安否が分からないことと歯形から見つかった遺体が天野文子で在ることが確認されたことが簡潔に書かれている。前者には昨夜、後者には今日の昼の時間が末尾に記されている。
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