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スーツを着た男は五十嵐、という名前の弁護士、僧侶は善如、と言った。史香は一見しただけでこの二人を好きになれない、と感じた。泣き崩れては二度と立ち上がれそうに無い頼子に冷たい一瞥しかくれてやらず、その上その価値無し、と示唆させるようにタクシーでは無く徒歩での移動を強いた。その町唯一の寺に着くまでは十分もかからなかったが史香たち三人を町の住人の五感の見せ物に仕立てるには充分すぎた。午前中にも関わらず、人が多かった。眼で姿を見られ、耳で足音を聴かれ、鼻と口で史香たちが通った後の残り香を嗅ぎ味わい、その空気は肌身に触れる。史香の眼は何人かと眼を合わせたがその眼に有るのは正の感情では無い。間違いなく文子は町の住人と打ち解けていなかった。実家に住んでいた頃も周囲と上手くやれた試しが無かったのにましてや何も知らない場所では不可能に等しい。
寺は大きかった。昔から敬われて来たのだろう。死は寺の領分で有り、それを知らないことは有ってはいけない。町に住んでいた人間全ての死を記録しているのかも知れない、と史香は思った。人間は誕生する時、数多の人間に記憶される。両親、親族、医師、看護師、産婆……もっと多いかも知れない。見知らぬ第三の人間も新生児を見れば顔を綻ばせては声をかける。それらは皆、祝福の言葉だ。独りで産まれたことは不幸で有る、と言われ、示唆されるように人はこぞって記憶記録する。死も同じだ。死の記憶記録に対する世界の現状は厳しい。人に看取って死んでいくことは贅沢事で有ることを示すように、今の時代に看取って貰えることを保証された人間の数は決して多く無い。両親や医師が不在中に臨終を迎えてしまうことは昔から有ったし、孤独死は数を減らしていない。文子はたまたま火事という悲惨な事故で看取られることなく死んでしまったが、もし火事が無ければ彼女は看取る人間が在っただろうか? 無かっただろうな、と史香は思った。プライドの高い文子が史香たちを枕元に呼ぶのを想像するのはヨハネの黙示録の内容が実現してしまうのと同じぐらい無さそうなものだった。
「文子さんは葬式を行わず、海への散骨を望まれました。火葬が終了次第、直ぐに散骨を行います。日をおかず出来るだけ早くそうして欲しい、と生前から言われておりました」
散骨、という考えもしなかった言葉に史香は絶句した。
「散骨ってそんな」と頼子はまた泣いた。「お願いです。分骨させて頂けないでしょうか」
しかし善如は首を振った。次いで五十嵐を、助けを請うような眼で一瞥する。
「申し訳ありませんが、それは出来かねます。文子さんの強いご希望で全て海に撒くように遺言されているんです」
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