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次の日からは、嵐の様に……怒濤の如く、物事が動いていった。
両親や永山先生、それに様々な人達が協力してくれて、時間はかかったが3人は私の家族になったのだ。
話し合いの時、あの子達の家族が全くしぶることなくーーというか寧ろ大喜びで「いりません!あんな子あげます」と言って来た時はまた頭に血が上り、向こうの父親をぶん殴ってしまったが。
まぁ、後悔はしていない。
こんな、遥か昔のことを思い出したのは……きっと、『卒業』という文字を見たからだろう。
実の両親との話し合いの時、あの子達は言ったのだ。
「今日があの人達からの卒業だ」と。
確かに、あの日あの子達は、あの毒親達の元を卒業して、初めて自分達の人生というものを歩み始めたのだろう。
この話をすると、よく言われるのが『ツギハギみたいな家族だね』という言葉だ。
中には、親族ですら信じてくれない人もいるし、「戯れ言を」とばかりに鼻で笑う人もいる。
「ままごとみたいだ」と笑われたこともあった。
ダイレクトに「嘘乙」とあしらわれたこともある。
それでも、家族の絆なんて言うのは、誰かに何かを言われた位では変わったり揺らいだりしないし……自分が思っている限りは、手放さない限りは、ほどけたりしないものなのだ。
それに、例え、『ツギハギ』だっていいじゃないか。
ツギハギを重ねた布の方が、ただの真っ白なだけの布より、味わいがあるというものだ。
それに、中島みゆきさんの歌の『糸』に『織り成す布は誰かを暖めうる』とあるが……沢山の布が折り重なったツギハギの布であれば、もっと沢山の誰かを暖めうるのではないか、と私は思っていたりする。
日々を重ねて、時を重ねて。
楽しい思い出も沢山あったし、喧嘩だって沢山した。
私が奏穂にぶん殴られたり、英雪に蹴られるのなんてしょっちゅうだ。
それでも、良いことも悪いことも……それらは、彼等がいたから、紡げた思い出なのだと思う。
あの時、手を離さなくて、本当に良かった。
こんな話を書いたのは、誰かに私を誉めたり、認めて欲しいからではない。
私は、自分が情けない部分もカッコ悪い部分も、狡い部分すらある駄目な長子だということを、よく知っている。
無論、格好をつけたい訳でもない。
ただ、ただ、知って欲しいと思ったから。
悲しいニュースばかり溢れて。
親からの虐待で喪われる沢山の小さな命や、異国で散らせ合う悲しい命の報せを見て。
いや、それだけでなく。
ここで『言葉』を紡いでいる人達だからこそ、出来ることや、救えることがある、と。
それは、何も、虐待を絶対に無くすとか、戦争を絶対に止めるとか大それたことではなく。
ただ、貴方の温もりをーー貴方の言葉を必要としている人の心に寄り添い、その人に、本当に必要な言葉をかけてあげること。
たったそれだけで、救われる心があるのだと知って欲しい。
どうか、これからも、あなたのーーあなた達の言葉が世界に広がり、沢山の心を潤し、救っていきますように。
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