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義兄さん。新天地での生活はどうですか。やはり太陽は日本と同じく、東から昇りますか。何もかもがこちらとは違う熱帯の国では、自然の摂理すら違うのではないかと、僕はついバカなことを考えてしまいます。
姉の諒子の葬儀は無事終わりました。愛し合ったからこそ互いに離縁を選んだ姉さんと義兄さん。そう分かってはいるものの、義兄さんが参列しない葬儀……寂しかったです。
そうそう。妹の華子への出産祝いをありがとうございました。無記名で贈られてきたあの産着、きっと贈り主は義兄さんに違いないと母や華子とも話しておりました。産まれた子供は男の子です。僕にとっては甥っ子です。
僕は、この子が心の底から愛おしい。
生物学者の義兄さんと、不妊治療の権威とも言われている土師医院の長女、諒子姉さん。二人が知り合い、そして結ばれたというのは、今思っても運命だったのだと思います。貴方は姉の病身を知りながら結婚をためらわなかった。母も妹も、そしてもちろん僕も……姉をそこまで愛してくれた義兄さんにどれほど感謝したことでしょう。幼い頃から心臓が悪く、決して人並みとは言えなかった姉の人生に、貴方はとても豊かな彩りを与えてくれたのです。義兄さん。貴方は、土師家にとっても運命の人なのです。
だから義兄さん。どうか誤解しないで。
義兄さんは決して姉さんを裏切っていない。すべては「必然」でした。必ず然るべき運命だったから僕らはああなった。
義兄さん。貴方は何も悪くないのです。
義兄さんが姉さんに伴われて土師家に初めて訪れた時のこと、僕は忘れることができません。背が高く、華奢な印象すらあるのに、その身体は意外にも逞しく雄々しかった。貴方は初対面の僕にまるで臆することなく、握手を求めてこう言ってくださいました。
「初めまして。可愛い弟と妹がいっぺんにできて嬉しいよ」
そう言って見せた貴方の笑顔。僕よりずっと年上なのに、曇りのない無垢な笑顔は、まるで少年のようでもありました。
ご存知の通り我が家は父が早世し、父と同じ不妊治療専門の医師だった母が僕らを育ててくれました。住居が医院棟と中庭を挟んで一続きになっているため、周囲は物心ついた頃から妊娠を待ち望む女性たちが行き交うという環境でした。土師の家は言わば一つの巣なのです。やがて来るはずの卵を待ち望む女性たちの巣。義兄さんはきっと、この巣に降り立った一羽の鷲だったのです。
貴方が暮らすようになってから、僕以外に男性の姿がなかった土師家は少し変わりました。女性ばかりの柔らかい雰囲気の住居、医院内に一抹の緊張感が芽生えたとでもいいましょうか。とはいえ、これは女性を威圧するものではなく、むしろ快い、好ましい緊張でした。貴方の姿が医院内に現れると、看護師さんたちだけでなく、患者である女性たちまでもがそわそわしていたものです。きっと、義兄さんご自身はまったく気付かなかったのでしょうけれど。
だけどもしかしたら、貴方という存在に一番感応してしまったのは僕だったのかもしれません。最初は、貴方を見るたびにさざ波立つ、快いような苦しいような気持ちがなんなのか分かりませんでした。一緒に暮らすようになった貴方に対し、戸惑っているのかと。父親がいない僕にとって、大人の男性は異物だからだろうかと。
けれどそれだけではありませんでした。
義兄さんに出会って、僕は気付いてしまったのです。
僕は卵になりたい。
僕には幼い頃から、決して人には言えない秘め事がありました。
まだ性的にも未分化な幼少の時分は、姉や妹と一緒に医院内に顔を出しては、看護師さんたちや患者の女性たちに可愛がられておりました。姉や妹と一緒にいる僕を見て、なんと面差しの似た三姉妹かと思っていた方も多かったようです。
けれど次第に、高校生になる頃から、自然と僕の足は医院から遠ざかるようになりました。ひょろりと背が伸び、曲がりなりにも筋肉が付き始めた肩や腕のせいで、もう僕が女の子に見えることはなかったからです。妊娠を待ち望む女性たちの厳かで神聖な場所に、日に日に男になっていく僕は入りづらくなった。不思議です。実際には患者さんの夫もたくさん出入りしていたにも関わらず、僕の医院に関する記憶の中に、男性の姿は一人たりともいないのです。
義兄さん以外は。
そういえば、義兄さんも目に見えて成長し始めた僕を見て言いましたよね。
「日ごとに生まれ変わるようだ。忘れていたよ。この時期の男の子が不思議な生き物であることを」
そしてこの自らの成長こそが、僕の秘め事を大きく育ててしまったのだと思います。医院に立ち入れなくなった僕は、空想の中でしか『あれ』と向かい合えなくなってしまった。何しろ一般家庭に、そして日常生活には決してないものだからです。しかも使うのは女性に限られている。
母は子供が欲しいと願う女性たちの気持ちに寄り添い、治療に伴う苦痛もなるべく取り除いてあげたいと腐心している医師です。ですから『あれ』に関しても、少しでもより良いものをと頻繁に最新式を導入しておりました。ですから土師医院の『あれ』はいつも柔らかなピンク色の、ふんわりとした使い心地でした。子供の頃はその形体の物珍しさに人目も構わず飛び乗っていたものです。もちろんそのたびに母や看護師さんたちに叱られてはおりましたが。
けれど成長するにつれ、僕は『あれ』に触れることすら畏れるようになり、ついには目にする機会すら拒むようになってしまった。……もうお分かりでしょう。僕が夜な夜な、深夜に医院に忍び込むようになったのは、『あれ』に触れたいがための一心だったのです。見苦しい言い訳になりますが、例えば僕自身が婦人科や不妊治療などの医師を目指していれば、きっと僕はああまで『あれ』に執着することはなかったと思います。
心の中であのピンク色の姿態を思い浮かべるしかないから、僕は懊悩した。もう触れることは叶わなくなったから、人目を忍び、こっそりと遊ぶようになってしまった――
そんな僕を義兄さんは目撃してしまったのです。
女性用の検診台に座り、開脚部に両脚を開いて乗せている僕の姿を。
女性の身体に負担をかけないよう、不安をなるべく除くよう、検診台はとても柔らかく快いものに作られています。ふわりとした感触は身体中を甘く受け止め、疼くような心地よさで全身を包んでくれます。それでいて、スイッチ一つで、世にも恥ずかしい姿態を強要する。究極の甘いサディズム具。
リモコンを手に座り、ゆっくりと自分の身体を横たえながら脚を徐々に開いていくあの恥ずかしさ。性器が医師に良く見えるようになっている構造ですので、当然のことながら性交時と体位は変わりません。それどころか、医師が座った目線に合わせることもできる。もういや、と羞恥に息が止まるくらいに脚を開かせることもできる。
僕は最初、ただ座って色々動かしてみては満足するだけでした。治療という名目がなければ痴態以外の何ものでもない姿態を自分に取らせ、恍惚に浸っておりました。
けれどある晩のことでした。診察室の外に、気配を感じたのは。
とうとう質すことはありませんでしたが、義兄さんはあの日の深夜、僕が医院棟へと入っていくところを目撃したのでしょう。不思議に思って後を付け、そして検診台に横たわる僕を見てしまった。義兄さんの驚きはいかほどだったことか。想像すると、なんだかおかしくなってしまいます。ああ、ごめんなさい。
僕はすぐに、診察室の外に立っているのが貴方だと気付きました。見られている。この事態に僕は最初うろたえ、頭が真っ白くなった。けれど義兄さんは何も言わない。ただじっと息を殺し、横たわる僕を見つめている。
そのうち、奇妙な感覚がこみ上がって来ました。むずむずと、腹の底から突き動かされるような感覚。つい、僕はスウェットの上から大きく膨らんだ自分を握ってしまった。そして手に余るほど張り詰めていたそれを、夢中で服の上から擦りました。思いがけない衣擦れの快感と、見られているという事実が、すぐに熱く迸った。下着を幼児のように汚してしまった僕は、呆然と検診台に身を横たえていました。両脚を淫らに広げたまま。
椅子に座って自慰をしたのはあの時が初めてでした。僕はあの瞬間、悟ってしまった。自分が求めているものはなんなのか――
義兄さん。あの瞬間から、貴方は僕の秘め事の共犯になった。
僕は夜ごと医院に忍び込み、検診台に座り、貴方を待つようになった。貴方も毎晩診察室の外に立っては、僕の淫らな遊戯を見つめるようになった。僕は時にリモコンで椅子を回転させ、身体を真正面から見せつけるようなこともした。脚をぎりぎりまで広げ、大きく腰をのたうち回らせて自慰もした。言葉も交わさず。目も合わせず。
けれどそのたびに、僕は貴方の目の前で開いた身体に、熱く注がれるものを感じておりました。決して孕めない性ではありますが、いつも、注いで、と貴方に語りかけておりました。
ここに注いで。熱いもの。そしたらこのまま、死んでもいい。
奇矯な話です。本来僕は注ぐほうの性であるのに。僕は貴方に目で愛撫されながら、待ち受ける性と化していた。
けれどリモコンを操作して、壊れそうなくらい脚を開いても、どんなに恥ずかしい姿態を取っても、僕らは触れ合えない。そのもどかしさが僕の細胞を悶えさせ、狂ったように自慰をさせた。我に返ると、触れられないほど赤く腫れあがっていたことなどしょっちゅうでした。それでも僕は、目だけでも貴方に注がれることを止められなかった――
こんな二人の戯れはどれほど続いたでしょうか。ふた月ほどでしたでしょうか。
義兄さん。あの聡い諒子姉さんが、毎晩寝室からいなくなる貴方のことを気付かなかったと思いますか。そうです。姉さんは全部知っておりました。僕の奇妙な性癖も。それを毎晩見つめる貴方のことも。だから義兄さん。貴方は自分を責めることなどないのです。
あれはすべて、姉の諒子が望んだことなのです。
幼い頃から長くはないと医者に言われ続けた姉が、二十代半ばまで生きられたのは奇蹟でもありました。
けれど残念なことに――義兄さんが誰よりも知ってのとおり――夫婦の営みはほぼ不可能だった。病気がちで、女性としても成熟しきっていない姉が男性を受け容れることは、いくら相手が義兄さんでも拷問に等しい行為でした。とはいえ、もちろん姉が貴方に対して強い後ろめたさを覚えたことも確かです。だから姉は夜な夜な僕の痴態を見つめる貴方を責めたりはしなかった。
ですが病状が進行するにつれ、姉はひどく思いつめるようになったのです。
貴方の子供が何としても欲しいと。この世から消える前に、貴方と自分の遺伝子を継ぐ子供が欲しいと。
だから姉は……いいえ、僕たちは考えた。
土師家の人間が一丸となって、姉と義兄さんの子供を誕生させようと。
あの夜のことを記します。もしや義兄さんにとっては思い出したくもないことでしょうか? だとしても、僕にとっては、一生忘れられない素晴らしいひと時でした。
例え、半分は使命だったとしても。
あの夜、僕はいつも通り診察室に忍び入って貴方を待っていました。程なくして貴方が現れた時……小さく息を呑んだのが分かりました。それもそのはずです。
僕は姉の服を着ていたのですから。
中庭の庭園灯がほんのりと照らすだけの室内、姉の服を着た僕は、きっと彼女と瓜二つに見えたことでしょう。僕は妹の華子より姉と面差しが似ておりました。幼い頃は双子と勘違いされたほどです。ここひと月ほど、体調が思わしくない姉と貴方は寝室を別々にしていた。一瞬、貴方は姉がいると思ったのではないでしょうか。
けれどすぐに僕だと気付いたことでしょう。マキシ丈のワンピースの裾から伸びた脚は、細いとはいえ男性のそれでしたし、何よりはだけた胸元は平らでした。僕は驚いた貴方の視線を感じながら、ゆっくりと、いつものように自分の乳首を指先で撫で、固く尖らせました。
リモコンを操作し、開脚台に乗せた脚を左右に開いていきます。姉のワンピースの裾が引っ張られ、きち、と音をたてました。それでも僕は構わず脚を開き続け、椅子を後方へと倒していきます。裾をまくり上げ、開いた脚を貴方に見せました。妻の衣服の下から覗く僕の身体。貴方の呼吸が、どんどん荒くなることが分かりました。僕は初めて、深夜の診察室で、声を発しました。
「義兄さん」
貴方がびくりと震えたのが夜目にも分かりました。僕は手を伸ばしました。貴方のほうへ。
来て。
注いで――
束の間、ためらった気配を感じました。けれど次の瞬間には、貴方は診察室に踏み込み、僕の大きく開かれた脚の間に跪いていた。姉の服の裾をたくし上げ、すでに濡れていた僕の先端を下着の上から唇でなぞった。形を舌で辿りながら、僕の陰嚢を揉み、腿の内側をくすぐります。
「んっ」
腰が反射的にのけ反りました。自分でしている時とはまったく違う感触。なんという荒々しさ、小意地の悪さ。これが大人の男というものかと、僕は全身の細胞をかき回されるような陶酔を感じながら思いました。
下着をずらされ、夜気に晒されたペニスは自分でも見たことがないほどに怒張しておりました。そこだけが突然猛々しい男になったようで、戸惑ったほどです。貴方に咥えられ、吸い上げられた時、出すまいと思っていた声が口から漏れてしまいました。そうしたら貴方はさらに意地の悪いことに、上体にのしかかり、僕を味わっていた舌で耳朶を舐めてきた。声を出すまいという戒めが、淡い涙となって僕の目のふちに浮かびます。
貴方は吐息が熱く熟れた唇を重ね、僕の声を吸い取った。僕は絡め合う互いの舌に合わせ、貴方の首にしっかりと両腕を回した。まるで大樹に絡み付く蔦のよう。しゅるしゅると、逞しい木肌を滑り、昇り詰めていく――
ずらされた下着を押しのけ、僕の開かれた中心に伸びてくる貴方の指を感じました。あまりの羞恥に身を捩ると、貴方は僕の手からリモコンを取り上げ、さらに大きく脚を開かせた。あ、と僕は思わず、乙女のように裂けかけたワンピースの裾を押さえました。けれど貴方の手に乱暴に跳ねのけられてしまう。僕は貴方の目の前で、どんどん開かれていってしまいました。
最大角度まで脚を広げさせた貴方はリモコンを放り出し、僕のあえかな秘部をじっと見つめました。貴方の目の前で開き切ってしまった口がひくつくのが分かります。僕は恥ずかしさに顔を両手で覆いました。
とたんに、熱い吐息を下腹部いっぱいに感じました。はっと上体を起こすと、貴方が僕の脚の間に顔を埋めていた。貴方の舌が僕の小さい入口から入ってきます。先端を固くすぼめ、僕の内側を穿っていく。その温い感触が粘膜全部に伝わります。下から、ざざぁっという無数の翅音が聞こえてくる。僕の細胞の一つ一つが小さい虫に変わり、いっせいに翅を震わせたのです。ああ、と僕は喉をのけ反らせ、貴方の頭を両手で押さえました。突き放したいのか、それとも引き寄せたいのか、もう僕には分かりませんでした。
けれど身体が、心が求めているものが、目の前で白く光ります。僕は自然に、貴方の舌に合わせ腰を動かしてしまっていた。舌が、一本の指、二本の指、果ては三本の指に変わってようやく、僕は我に返りました。
「だめ」
息も絶え絶えな声でささやきました。僕を大きく、勁く穿つ音のほうが大きいくらいです。貴方はちらりと顔を上げましたが、僕を攻める動きは止めようとしませんでした。一度抜きかけた指を、また大きく打ち込み、内部を擦り上げます。ひっと僕は悲鳴を上げ、それでも貴方の手をどうにか押さえました。
「もう、いけません」
これ以上されてしまったら。
「お願いです。もう、よしてください――」
ここに、挿れて欲しくなってしまう――
けれどすでに滾る情欲に度を失った貴方に、この言葉は火に油を注いだようなものでした。今、こうして顧みて、僕は怖くなります。
僕のほうこそ、あの時、本当に貴方にやめて欲しいと思っていただろうか――
事実、僕はあの時、貴方と遂げてしまうわけにはいかなかったというのに。それなのに僕は貴方を待ち望んでいた。大きく開いた僕の口に、貴方の猛るペニスがあてがわれても抵抗できなかった。
「いけません、義兄さん、もういけません」
まるで舞いの一部のように、見かけよりずっと逞しい貴方の胸板を叩いてはおりましたが、ほとんど同意、悦びの太鼓のようなものでした。僕の頭の中には白く光る一点があって、そこを、貴方に貫かれることしか考えられなかったのです。
「――!」
荒々しく僕を貫いた貴方は、違う生き物、猛禽と化しておりました。姿は紛れもなく義兄さんなのに、その肌の下に蠢くもう一羽の猛禽が僕を喰い荒らします。身体を隅々まで満たし、揺るがし、光らせます。内部のいたるところで光が爆ぜる。その光が深奥の一点を衝いた時、僕は貴方の腕の中で背をのけ反らせ、激しく痙攣しました。
「あっ……! あっあっ、やめて、よしてください義兄さん、離してっ……!」
無駄と分かりつつ、いえ、共犯なのだと興奮しつつ僕は喘ぎました。離せと言いながら貴方の臀部を掴み、自分に引き寄せた。大きく開いた脚を貴方の腰に絡め、ともに動かし続けました。最新式の検診台がぎしぎしと音を立てて揺らぎます。ダメ。壊れちゃう。これは患者さんの、女性たちのものなのに。
その背徳感、罪悪感がますます僕を柔らかくし、貴方を受け容れてしまいました。貴方の雄々しい嘴は原型すらとどめなくなった僕の肉を奥の奥まで喰い荒らしました。抜いては挿れを繰り返されるうち、繋がっている部分がしとどに濡れていくのが分かります。……注がれている。僕は快楽に頭をかき回され、おかしくなりそうでした。
僕は卵。義兄さんの嘴は今、僕の卵の中――
ああ。でも。
僕はほとんど、肉を引き剥がす思いで、貴方に言いました。
「義兄さん……中には出さないで……ダメなのです、お願い、外に出して……」
もうこれ以上、続けるわけにはいかない。ただでさえ最初の一歩を踏み外した。僕は負けてしまった。僕は悪い子。悪い弟。
上に被さる貴方を強く押し返しました。傍らに用意しておいたまっさらなガーゼを手に取る。僕の中から貴方を解放すると、互いの粘液にまみれ、熱くそそり立ったままのペニスをそれで包みました。貴方は驚いたようでしたが、興奮の熾火がまだずい分と激しいのか、されるがままでした。僕はガーゼで丹念に貴方のペニスを拭うと、次いで自分の両手も新しいガーゼで拭いました。そして貴方のペニスを右手で握り、強く扱いた。
うっと貴方が呻きました。僕は手淫しながら、検診椅子の上に座り直し、貴方の乳首を口に含みました。子供みたいに貴方が喉を鳴らしたこと、今でも忘れられません。鷲が、いきなり雛になったみたいで。
空いた左手でも乳首の輪郭をなぞり、舌先で転がしました。その間にも、手の中で貴方はどんどん大きくなっていきます。立ったままの貴方の腰が、手の動きに合わせ前後に動きます。僕をたまに上向かせては、熱く口付けてきました。舌を絡め、唾液を分け合ってもなお、僕は扱く手を止めませんでした。
貴方の奥底から、細胞がざわめき出したのが手に伝わってきます。終わりが近い。そう思いながら、僕はいっそう貴方を淫しました。膨れ上がった血管が掌に圧迫され、ぐにょりぐにょりと蠢くのが分かります。僕は伴走者でした。熱い吐息を交歓し合う、伴走者。
「っ」
貴方が息を呑みました。来る。僕はとっさに貴方のペニスから手を離し、両の掌を構えた。
次の瞬間、熱い滴りが迸りました。まるで厳かな聖水を受けるように、僕はその滴りを、掌に受けました。
――呆然とする貴方を置いて、僕は診察室を飛び出しましたね。隣の処置室に飛び込み、内から鍵をかけてしまった。貴方がやがてご自分の部屋に戻られるまで、僕は……僕たちはじっと息を殺し、粛々とその後の成すべきことを遂行した……。
義兄さん。もうお気付きでしょうか。貴方が姉を裏切ったわけではないと言った僕の言葉の意味が分かっていただけたでしょうか?
あの晩のことは、すべて、僕たち土師家の人間が貴方と姉の子供を誕生させようとしたことなのです。
そう。体外受精です。
あの夜、僕に課せられた使命は、貴方の精液を採ってくることでした。僕の手の中に射精させたのは、なるべく夾雑物を入れないようにするためです。
姉は日に日に身体が弱り、採卵の準備をするだけで限界でした。あの夜のひと月ほど前から、姉は体調がすぐれないからと偽って寝室を別々にし、採卵のための点滴や排卵誘発剤の注射などを受け、準備をしていたのです。その上で、僕に貴方の精子を採ってくる役目を与えたのです。
もちろんこれは大きな賭けでした。時間の制約もある。しかもあんな状況で採った精液です。どんな雑菌、不純物が紛れているとも知れない。僕から精液を受け取った母が、少しでも新鮮なうちに試薬に重ね、最新式の遠心分離機にかけたとしてもどれほどの精子が見つかるか。よしんば元気のいい精子が多数取り出せても、前もって採卵しておいた姉の卵子と受精するか――
ですがどうやら、神は姉の、そして土師家全員の願いを叶えてくださったようです。
体外受精は成功しました。そして先日、無事、貴方と姉の子供は産まれました。
……どうしてこんな重大なことを義兄さんに相談もせずに強行したのか。この駄文にここまで目を通してくださったのなら、もう察しがついているのではないでしょうか。そうです。すでに床に臥したままだった姉に、子供が産めるはずなどありません。
子供は代理出産という形で誕生したのです。日本では現在法的に認められていない手段です。海外で合法的に行う方法もあり得ました。が、姉にはすでにそんな時間も体力も残されてはいなかった。
もしもこのことが公になったら、貴方の学者としての経歴、将来に傷が付く。姉は何よりそのことを恐れたのです。だからとうとう貴方には最後まで真実を告げず、すべてを僕たちで実行した。そして万が一このことが世間に知れた時に貴方に咎が及ばぬよう、離縁を申し出た。そうとは知らぬ貴方は僕との一件で自分を責め、姉との離縁を承諾した。
どうですか。貴方は姉を裏切ったわけではないのです。それどころか、貴方は可哀想な姉さんの願いをすべて叶えてあげたのです。そう思ってもらえますか?
――動物にも同性愛的行動が多数確認されている。様々な事例を見るたびに、僕はその行為の不可思議さに魅かれる。群れの中の社会的調和、緊張緩和……様々な説があるけれど、決して生殖に結びつかないこの行為には、何かしら自然の摂理が生み出した必然があるのではないだろうか。そう思うと、僕は興味が尽きなくてわくわくするんだよ――
南米の未開の地域に研究者チームの一員として義兄さんが加わると聞いた時、貴方がかつて楽しげに語り聞かせてくださったことを思い出しました。そしてもしや、あの夜の行為の『必然』をなんとしても見つけ出そうと、貴方は日本を飛び出したのではないか。そんなことまで思ってしまいました。
義兄さん、もしも貴方が自分を責めているとしたら、それは間違いです。一番の責めを負うべきなのはこの僕なのですから。
あの夜、僕は貴方に抱かれることを選んでしまった。決して貴方の精液を汚してはいけないのに、自らの身体で汚してしまったのです。
さらにはあの時、隣の処置室には採卵を終えたばかりの姉がおりました。麻酔でまだ朦朧としていたとはいえ、僕は声など出してはいけなかったのです。愛する夫に抱かれた弟の声を聞く。姉にとって、これ以上の酷い仕打ちがあるでしょうか。
それなのに、僕は――
ああ。
貴方の心の負担を取り除きたいと書き始めたのに、結局は僕自身が誰かに告白したかったのだと認めざるを得ません。
姉は生涯消えることのない罰を僕に与えました。夫と淫らな秘め事を共有した僕に。夫と通じた僕に。わざと……そう、わざと喜悦の声を聞かせた弟の僕に。
姉の思惑通り、僕は毎日毎夜、罪の意識と与えられた罰の苦しさに打ちひしがれております。貴方が土師家を去ってから、診察室の検診椅子はなんの意味も持たないただのモノと化してしまいました。僕をときめかせ、甘い至福を与えてくれた場所は、もうどこにもない。僕の記憶と、身体の奥底にしか存在しないのです。
僕は空っぽの巣と化してしまいました。
これが姉の罰。
それでも、この頃ふと思うのです。身体のどこかに、荒々しく降り立った鷲が一羽棲みついていると。そう考えると、なぜか不思議に心が落ち着きます。僕は目を閉じ、身体を胎児のように丸め、想像してみるのです。
僕は卵。
割られることを、侵されることを望む卵。
……貴方が贈ってくださった産着。毎日、僕の愛しい甥っ子に着せております。華子もこの子が愛おしくて仕方がないようです。それもそのはずです。
華子にとっても、この子は甥っ子なのですから。
そう。貴方と姉の諒子の子供を代理出産したのは華子です。
生まれた男の子は貴方の息子です。目元がなんと義兄さんと似ていることか!
僕はきっとまた、夜の診察室に通うようになるでしょう。
夜ごと、空っぽの巣に戻って行くでしょう。
それでは義兄さん。
どうぞお元気で。
(了)
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