涙のわけ

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涙のわけ

 グラウンドに桜の花びらが舞う。  私はマイクを通して、一年間担任したクラスの生徒、三十二人の名前を、五十音順に呼ぶ。  丁寧に、心を込めて。  ただ一人の名前だけを呼びたい気持ちを抑えて。  広川尚哉。  名簿の中にこの名前を見つけた時は、心臓が止まるかと思った。  私が配属されている中学に、広川尚哉が入学してきた三年前。  大きめに作られた制服に着られているような姿や、つい最近まで小学生だった名残りが、子供っぽい頬に表れているところがかわいい男の子だった。  同じ小学校から上がってきた友達数人の男子と真新しい白い上履きを履き、自分の名前の下駄箱を確認しては騒いでいるときの笑顔を、私は受付からそっと見つめていた。  笑顔にあの人の面影がある。  一瞬、十三年ぶりに彼と再会した錯覚を起こした。  あのとき、目に涙を溜めて 「ごめんね、葵」 とひと言残して去って行ったあの人に、広川尚哉の顔はよく似ていた。  高校二年の終わり頃。  私は妊娠した。  大学生の恋人に「避妊して」と言えなかったのは、フラれたくなかったからだ。  そんなことで彼女と別れる男なんて付き合う価値もない、とか、彼女の体を大事にしない男とつきあうなんてバカだ、とか。周りの友達は正論で私の目を覚まさせようと必死になってくれた。  しかし恋は盲目というのは本当で、私は彼を運命の人だと思ったし、こんなに好きになれる人はもう一生現れない、と思い込んでいた。  こういうのを「若気の至り」というのだと、大人になってから実感したのだが。  つわりは母親にすぐバレた。  バレた翌々日には、我が家のリビングで彼と彼の両親が土下座をしていた。 「娘さんの体に大変なことをしてしまい、申し訳ありませんっ」  彼のお父さんは何度も何度も頭を下げた。  ローテーブルの上には分厚く膨れた封筒が置かれていた。  ドラマで観たことがあるシーンだなあ、と私はぼんやり思っていた。 「中絶の用紙にはサインします。葵さんとも二度と会いません。本当に申し訳ありませんでした」  彼は私の両親に頭を下げて、そう言った。 「え?二度と会わないって何?中絶って?なに言ってるの?結婚して一緒に育てようよ」  私は当然、彼が大学を辞めて働いて、私達は授かり婚をして、子供を産んで、幸せな家庭を築いていくものだと信じて疑わなかった。  しかしその場にいた私の両親、彼の両親、そして彼の五人はみんな同じ考えだったようだ。  私の気持ちは無視され、「現実を見ろ」だとか、「それが普通」だから、とか、多数派の価値観に押され、中絶させられることになった。  まもなく春休みになったので、高校三年に進級する前に中絶をすることになった。病院も私が高校生であることを考慮して、予定を合わせてくれた。  中絶の日、母親が付き添ってくれた。いや、付き添いではなく、監視役だったのだろう。  あの話し合いの日から、私は感情を失くし、目はうつろで、ほとんど食べず、喋らなかった。それを両親は、私が中絶を拒否し、反抗しているのだと捉えていた。だから父の命令で母がついてきたのだろう。  病院までのタクシーの中で、私は流れる景色を見ていた。  赤ちゃん、ごめんね。ベビーカーを押して街の景色を見せてあげたかった。だっこをして、青空や花を見せてあげたかった。なにも叶えてあげられない。せめて苦しまずに命を終えてほしい。  いつからか私は母親の気持ちになっていた。  タクシーが病院に近づいたとき、かすかにおなかの中で、ポコン、となにかが動いたような感覚があった。  胎動?  そんなわけない。まだまだ小さくて、胎動を感じる月齢ではない。  でも確かに感じた。  この子……私になにか訴えてる。  タクシーを降り、病院の建物に入ろうとする母の、コートの袖を私は掴んだ。 「私、この命を殺したくない」  母は黙っていた。 「中絶したくない」  私が母のコートの袖を引っ張ると、母は振り返った。その母の目が今までに見たことがないほどきつく、鬼のようで、私は恐ろしく、思わず手を離した。 「葵、特別養子縁組って知ってる?」  私はこのとき、「母親の強さ」というものを見た。  母は中絶がどんなに悲しいことかわかる、と言った。好きな人の子供なら尚更だ、と。  ただ、私はまだ高校生で、彼は逃げるように離れていった。子供を産んでも育てられない。 「それで特別養子縁組……」  私も特別養子縁組についてはある程度知っていた。  産んだ私とは法的に親子ではなくなる。引き取った家の親だけが、法律が認める親になる。 「産んでも絶対子供に会わない覚悟ができるなら、中絶しなくていい」  母は厳しい目で、私に決断を迫った。  三年前、子供っぽかった広川尚哉は、ずいぶん成長し、制服の肩幅がきつそうだ。  中学三年で、尚哉のいるクラスの担任になったとき、神様からのご褒美なのだと思った。  一年間、尚哉の成長を見守ることができた。  苦手な国語のテストで眉間に皺を寄せる顔を見ることができた。  美術の先生に職員室で叱られているのに、時計をチラッと見て、もっと叱られる子供っぽさを見ることができた。  そして今日、私は卒業式で尚哉の名前を呼ぶことができる。  あの日、十分だけ私の腕の中にいたか弱い命は、今日、私から離れていく。  私は高校を一年間休学し、遠くに住む母の妹夫婦にお世話になり、出産の日を迎えた。  叔母が気をきかせてくれて、彼に連絡してくれた。  彼が病院の廊下に到着したとき、私は陣痛のピークを迎えていて、ギャーだの、ワーだの、痛みのあまり叫んでいる声が廊下にまで響き、彼は怖くて、廊下の長椅子で縮こまっていた、とあとで叔母が笑いながら話してくれた。  私は無事に男の子を出産した。  数時間後に一度だけ、赤ちゃんを抱かせてもらえた。そばに彼もいた。  看護師さんの計らいで、三人の写真を撮ってもらった。  母乳をあげることも、おむつを替えることも許されず、別室で待っている赤ちゃんの両親になる人に渡されることになっていた。  私は看護師さんにメモを一枚、渡した。 「もし許されるなら、この名前をつけてほしい」 「一応伝えますけど……」  看護師さんは困った顔をしたまま、赤ちゃんを抱いて部屋を出て行った。  病室のベッドの上で、私は泣いた。どれほど泣いても涙が止まらなかった。  小さくて、ふにゃふにゃで、無垢な赤ちゃん。二度と会うことができない、私の赤ちゃん。  号泣する私を、彼はそっと抱きしめてくれた。 「ごめんね、葵」  彼の目も涙で潤んでいた。 「尚哉君……」  その日を最後に、彼と私が会うことは二度となかった。  私は実家には帰らず、叔母の家で体を休め、叔母の家の近くの高校に編入し、卒業した。  大学はその隣の県の国立の大学を受験し、教員採用試験もその県を受けて、合格した。  私は合格の報告のため、久しぶりに叔母を訪ねた。  夏の終わりで、昼間はまだ残暑が厳しいが、夜はコオロギの鳴き声が聞こえていた。  叔母と私は一緒にそうめんを啜っていた。 「葵、がんばったね。教員になったら忙しくて、もう一緒にゆっくりごはんなんて食べられないかもね」  叔母は少し寂しそうだった。 「隣の県だもん。車ですぐだよ」  私は笑った。 「葵に陣痛がきた夜も、コオロギが鳴いていたね。私、焦っちゃって、寒いのか暑いのか、よくわからない汗が滝みたいに流れたっけ」  叔母は懐かしそうに、フフッと笑った。 「広川さんは優しそうなご夫婦だったから、きっと子供は幸せになってるよ」  叔母はサラッと言った。  私が赤ちゃんの親になった人の名前を知らされていないことを、叔母は知らなかったのだ。  私は素知らぬフリを通した。  なにか知ったら、子供に会いたくなる。遠くからでも様子を見たいと思うようになる。私が母親だと名乗り出たくなる。それが子供のためにならないとわかっていても。だからこれ以上はなにも知らないほうがいい。  それでも「広川」という苗字が、ずっと忘れられなかった。  名前を呼ばれた生徒は 「はいっ」 と返事をして、立ち上がる。  順番に壇上にあがり、校長先生から卒業証書を受け取る。  何度も練習したのに、本番になると、生徒達は緊張している。  どの生徒も大事だった。かわいかった。思春期で難しかった。正面からぶつかった。 「広川尚哉」 「はい」  私と握手をしてから、階段を上がることになっている。 「卒業おめでとう」 「ありがとうございます」  はにかんだ尚哉は、昔、私が好きだった人の笑顔によく似ていた。  階段を上がっていく姿を見送りながら、私は溢れてくる涙を指で拭った。  
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