第1章 夢だったもの

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 父、ボイグの葬儀はなんとか終わった。  あの後、レイラに発破をかけられながら、書類にサインを繰り返し、喪服の準備に街に出かけた。  レイラが自分の喪服を持ってきていて、それを手直しできるようにお店のご主人に頼んだ。ティーザは落ち着かなかった。以前、悪いことを言ったことを覚えているからだ。以前からボイグがひいきにしていて、昔からの知り合いの店だ。  だが、女学校でいじめられているティーザは、偉そうに文句を店の主人に言わないと、仲間はずれにすると脅されて、高飛車に『こんなに安っぽい店に服を頼むことなんて、できませんわ。テルラに致しましょう。あそこなら、流行のデザインですから。』自分が嫌でたまらない、アンゼの真似をしてとても偉そうに言った。  当然、お店の主人は目を合わせてくれようとしない。ティーザは足がすくんだ。入り口の入った所でレイラが話している間中、石のように固まったままだった。 「間違ったことをしたのなら、やるべきことがあるでしょう?」  レイラは同じ年齢なのに、ティーザよりお姉さんだ。何がどう違えば、こんな風に成長できるのだろう。 「…お嬢さん、お父さんのことは残念です。」  店の主人の男性店主が言った。ティーザとは話もしたくないだろうに。向こうから声をかけてくれたのだ。何か言わなくてはと思ったが、震えて声を出せない。両手で服を握りしめたまま、うつむいていた。 「お嬢さん、あなたが女学校でいじめられているのは、知っています。」  ティーザは思わず、弾かれたように顔を上げた。 「私があなたのお父さんに、あなたがいじめられていることを教えたのです。」  ティーザは食い入るように、店の主人を見つめた。ボイグが知っていたことに、ティーザは衝撃(しょうげき)を受けていた。隠し通しているつもりだったのだ。心配をかけまいと。自分のために、女学校に行けるように手を尽くしたと知っていたから。 「実は、あなたのお父さんには苦手な事がありました。知らなかったかもしれませんが、あなたのお父さんは数字を理解できず、計算もできなかったんです。だから、バーポさんみたいな人が必要でした。」  ティーザは(おどろ)きすぎて、言葉も出せなかった。父が、数字を理解できなかったと初めて知った。 「でも、それではいけないと、毎晩、仕事が終わった後、ここで数字の勉強と計算の練習をしていたんです。」  そう言って、お店の主人は奥から紙の束を持って出てきた。父の筆跡だった。数字をたくさん書いてあって、計算の問題をひたすら勉強してあった。 「…なんで、そんな事を?」 「街のみんなに少しでも、援助ができるようにするためです。最初はどんぶり勘定で渡してきました。でも、これはおかしいと思って、バーポさんに相談したんです。そうしたら、ボイグさんは計算ができないとバーポさんに聞きました。それで、援助したいのなら適切な金額を渡して下さい、とボイグさんにわざと伝えました。  そうしたら、ボイグさんは恥ずかしそうにしながら、実は計算ができないと告白したんです。数字も分からないのだと。字は分かるのに、数字だけはどうしても、なぜか理解できないと言いました。だから、教えて欲しいと頼んできたんです。  それで、それ以来できる限り毎晩、ここで仕事が終わってから、勉強に来ていました。当然、その時、あなたのことも話題に出ました。あなたが女学校に通うようになってからは娘の様子がおかしい、何か知らないかと聞いてくるので、あなたがいじめられているとお話ししました。」  ティーザは震えた。両目に涙が浮かんで何も見えなかった。 「…ごめんなさい、おじさん。わたし、ひどいことを言いました。本当はずっと、苦しかったんです。嫌いなアンゼの態度を真似して、同じように嫌味に言いました。  本当は、みんなに嫌われたくなくて、女学校に行きたくないと言ったら、父さまを困らせるし、だから、なんとか学校生活を楽にするために、頑張るしかないって、学校に行っていました。それに、見栄もあったんです。お金持ちのお嬢様方から、頼られているって勘違いして…本当は分かっていたけど、お金を貸してあげてるって、思い込もうとして。  本当は対等じゃなかったのに、対等ぶって偉そうにして、みんなに物を買ってあげて、ありがとうって言われる瞬間だけが、わたしの価値を認められた気がして。レイラにそんな所に行ったら、根性が(くさ)るって言われたけど、見返してやりたくて、でも、やっぱり根性が腐っちゃった。  わたし…だから…ごめんなさい。」  頭を思い切って下げると、靴の先に涙が落ちていった。 「…ティーザさん。いいんだよ。本当は優しい子だと知っていた。最初は女学校に通えるようになって良かったと、街のみんなも喜んでいた。でも、あなたが女学校に通うようになってから表情が暗くなり、明るさが消え、上辺だけの笑顔を見せるようになって、みんな心配していた。  ようやく、昔のティーザさんに戻って良かった。その涙と一緒に、女学校で身につけてしまった良くない所は、流してしまいなさい。」  ティーザは頷いた。声にできなかった。胸が詰まって。許して貰えて、心の底からほっとした。 「それとね、お父さんのボイグさんの、葬儀のことはどうなってるんだい?」  そう聞かれて、ティーザは慌てた。 「…わ、分かりません。お店の…会社のお金のことで、ばたばたしていたから…。ば、バーポさんに聞けば、分かると思います…。」  答えながらティーザは落ち込んだ。父の葬儀でさえ、きちんとできないのだ。 「大丈夫、そうしたら、バーポさんに私から聞きに行こう。心配いらないよ。街のみんながボイグさんのために、ちゃんとするから。」 「…え、でも、葬儀もお金がかかるんじゃないんですか?」  ティーザが気が付いて問うと、おじさんはにっこりした。 「ようやく、前のティーザさんが戻ってきましたね。昔のティーザさんはそういうことに気の利く娘さんでした。」  ティーザは店主を見つめた。 「みんな、ボイグさんに助けて貰っていたからね、こんな時くらい何か手伝わせて貰うよ。」 「…でも、どうして。」  ティーザはおろおろした。どうしたらいいんだろう。 「ティーザさん、大丈夫。私がみんなの代表で準備しますから。普通、十七歳で親の葬儀をすることは、あんまりないですからね。最近は特に。お金はみんなの寄付で用意します。困った時はお互い様。」 「ありがたく、そうして頂いたらいいよ。」  後ろからレイラが助言してくれた。 「大急ぎで引っ越しの準備をしないといけないでしょ。」  レイラに言われて、現実の世界は悲しみに浸っている時間がないことを突きつけられた。ティーザは店主に深々と頭を下げて礼を言うと、レイラと一緒に急いで店を出た。
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