第1章 夢だったもの

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 そうして、葬儀は無事に終わったのだ。  多くの人に助けられて、父のボイグがいかに街の多くの人に慕われていたか、初めて知った。そんな父の顔に泥を塗っていたのだ。  時間が()てば経つほど、ティーザは落ち込んだ。 「…なあに、落ち込んでるの?」  レイラが聞いてきた。  すでに父の葬儀から、二ヶ月以上が経っていた。真冬から春の兆しが見えてきた。今、ティーザはレイラの家のダル家にお世話になっていた。  レイラの父のブリオスは高名な学者だ。考古学者で人類学者で民俗学者だ。家族みんなでくつろぐ居間は、本棚がびっしり並び、多くの本が隙間なく並んで立っている。学術的な本ばかりではない。  その中に混じって、おとぎ話とか、神話とか小説だとか、歌劇の物語集とか、ズトッス王国の話だけではなく、近隣諸国の物語も多くある。その中にはサリカタ王国の物も多数あって、それらが父のボイグによってダル家にやってきたことを知っている。  レイラの父ブリオスは、大学を辞めていた。なんでも、国の研究に対する援助の方針が気に入らないから、やめたのだという。今までの報奨金や本の執筆料などで稼いでいるので、十分生活できるのだそうだ。 「ほうら、できたわ、召し上がれ。」  レイラの母アマンディアが、何かお菓子らしい物を皿にのせて運んできた。アマンディアは、元々歌劇の役者で声楽家。ロエリス・バーグという芸名で有名な劇場で大金を稼ぐ女優だった。  美人だということで有名で、そんなアマンディアがどんな王侯貴族や金持ちの求婚も断って、新進気鋭のしかし、財産は頭脳だけという若い学者と結婚したので、当時は相当、騒がれたらしい。 「…お母さん、これ、何?また、何かのもどき料理?」  娘レイラの評価は辛辣(しんらつ)である。 「ほんっと、お前って子は嫌味な子ね。一応、シャムシャって言われるお菓子よ。ボイグさんに頼んで、サリカタ王国の料理の本を送って貰ったの。昔から、お祭りの時などの特別な時に食べられていたお菓子なんですって。」  アマンディアはテーブルの上に皿を乗せると、ナイフで切り分け始めた。だが、あまりに熱々すぎて上手く切れない。 「お母さん、これ、粗熱が取れてから食べるべきものじゃない?」  レイラは言って、台所に本を調べに行った。 「やっぱり。粗熱が取れるどころか、二、三日なじませてから食べろって書いてあるじゃない。」 「えー、嫌よ、せっかく作ったのに、二、三日も待てない。」  アマンディアは無理矢理切ろうとして、せっかく綺麗に丸く焼けていたお菓子を三分の二程、(くず)して(こわ)してしまった。 「ほらー、やっぱり、壊したじゃないの。待てばいいのに。そしたら、食べたい味に近づくんじゃないの?お母さん、いつも待たないから、何か違うって言いながらいつも完食してる。」 「ほら、ティーザちゃん、食べなさい。」  アマンディアはレイラを無視して、ティーザにお菓子を取り分けてくれる。 「もう、お母さん、なに、ティーザに失敗して壊れた所をあげてるのよ。」  とうとうティーザは吹き出した。レイラがどんなに言ったって、母のアマンディアはどこ吹く風だ。この親子はいつもは、母子が逆転しているみたいに見える。 「…ようやく、笑うようになったわね。お父さんが亡くなったから、当然と言えば当然だけど、ずっと笑顔を見ていなかったから。ティーザちゃんが、暗い顔でずっと、肉でできた仮面を被っていたから、心配だったの。無理矢理、笑顔を浮かべてるって分かったもの。」  思わずティーザはアマンディアの顔を見つめた。この家の居間は少し変わっていて、サリカタ王国のように床にも直に座れるようになっている。椅子で土足が多い中、この家は土足禁止だ。土足でない方が家の掃除が楽だという。変な虫もついてこないし、何より動物の(ふん)を踏んだ足で家の中に上がらなくていい。  ティーザもこの家が好きだ。足を投げ出して座っても叱られない。なんでも、人間が楽に座れる姿勢はどうやって確立されたのか、文化や習慣によってどれほど変化するのか研究になるから、らしい。 「…ねえ、ティーザちゃん、これから…どうするの?この家を出て行けっていう話じゃないのよ。ただ、どうするのかなって思ったの。」  アマンディアがソファに座るティーザの前に座って、ティーザの両手を握って聞いてきた。温かい手に握られて、ティーザは胸が苦しくなった。涙がじんわり両目に()まる。 「…分かりません。どうしたらいいのか、全く分からないの。」  ティーザの声が震えた。もう、女学校は退学している。 「アマンディア、まだ、ボイグさんが亡くなって、二ヶ月しか経ってない。すぐに何かしようなどとできるわけがない。」  少し離れた所の、一人がけ用のソファに座っているブリオスが、妻をたしなめる。 「そうじゃないの。例えば、気晴らしに歌劇を見に行くとするでしょう?そうしたら、どんなドレスにしたらいいのかなって思ったのよ。レイラはこの通りで、つまらないの。ティーザちゃんを魅力的に整えてあげたいのよ。元女優として、腕の見せ所よ。」 「…なんだ、そういうことか。」 「そういうことよ。」 「わたしのお下がり、着れるかしら?」  そんなことを言ってくれていて、ティーザは、とても胸が詰まって切なくなった。思わず涙が落ちてしまった。 「大丈夫?」  アマンディアがすぐに抱きしめてくれる。優しい香りがした。 「なんでもない。大丈夫です。ただ、ふと涙が出てきちゃった。」 「そうね、そうよね。」  アマンディアは、本当の母のようにティーザの髪の毛をかき上げてくれた。ティーザは母を知らない。父子家庭だった。母のことを父のボイグに聞いたことは、ほとんどなかった。幼い時に聞いて、ボイグが一瞬顔を強ばらせた後、困った表情を浮かべた。 「ティーザちゃんの髪、独特でとても綺麗ね。昔はよく分からなかったけれど、大きくなってきたら全然変わったわ。黒っぽい焦げ茶色と金色が混じり合っていて、ライオンのたてがみみたい。」 「お母さんもそう思うでしょ?私もティーザの髪、綺麗だと思う。わたし、ティーザのお母さんはサリカタ王国の人だと思うよ。上手いこと、サリカタ王国のサリカン人とイルード大陸から渡ってきたイルード人の要素が混じり合っていると思うの。その特徴がティーザには綺麗に出ていて、悪くないのよね。」  ティーザの母について、ボイグは教えてくれなかった。大きくなったら教えてくれると答えてくれた。きっと、話とはそれもあったはずなのだ。それなのに、母のことを永遠に聞く機会を失ってしまった。  ティーザが残念に思っている間にも、レイラは民俗学的な話をアマンディア相手に続けていた。レイラの悪くないという話は、研究対象として悪くない、という意味だ。  レイラは大変な天才で、わずか十三歳で大学に入学した。当時、十三歳で大学の入学試験を受けた人は、レイラの兄のマイリスしかいなかった。  実はマイリスは試験当日、答案用紙を間違えて回答したため、すべて零点で試験を終わっている。試験の全てで零点であったというのも前代未聞だったらしい。そして、次の年に当時の最年少で大学に入学した。  レイラは答案用紙を間違えなかったので、兄の記録を塗り替え、最年少で大学の試験に合格した。しかも、少女でである。女の子を大学に入学させるか否かで相当問題になったが、なんせ、首席で合格しているし、高名な学者の娘である。しかも、兄も天才だ。  なぜ、子ども達に十三歳で試験を受けさせるのか聞かれて、ブリオスは、世界には十三歳で元服の儀式を行う人達もいる。十三歳で大学の試験を受けるのが当家の儀式だ、と答えたそうだ。  喧々諤々(けんけんがくがく)とした結果、レイラを学生として認め、彼女は見事四年間で大学どころか大学院まで卒業し、民俗学の博士になった。  彼女にしてみれば、ティーザは立派な研究対象なのだ。しかも、レイラの夢は、古い習慣や習俗が残っているサリカタ王国に行って、研究することだ。  ズトッス王国があるルムガ大陸と、向かい側の大陸イルード大陸は近く、昔から北方にあるイルード大陸から大勢がルムガ大陸に渡ってきている。そのため、多くの人がルムガ大陸に古くから住んでいた人と交じり合った。  さらに、渡ってきたイルード人は住みよい土地を奪い、古くからルムガ大陸に住んでいた人達を追いやることになった。昔から住んでいた人達は、東側の荒野と砂漠地帯に行くか、西の山脈のある方に行くしかなかった。ところが、イルード人達がよく調べてみると、西には山の向こうに豊かな土地が広がっている。  寒くて貧しい土地に住んでいたイルード人達は、さっそく西の土地を奪おうとした。ところが、西に住んでいる人達は、自分達をサリカン人と称し、とても強くて返り討ちに遭った。高原と山が蓋をするようにあるので、イルード人達はそれ以上、西に進めなかったのだ。  船から進んでいって、攻め取ろうとしたが、船の扱いも彼らの方が巧みで、しかも海流のことをよく知っていた。北方の激しい海しか知らないイルード人達には、海は危ない所であったので、積極的に多大な犠牲を払ってでも出て行く所ではなかったのだ。とりあえず渡った先で落ち着いたので、それ以上の侵入は半分諦めたのである。  西に進めなくなったイルード人達は、東に進んだ。山よりも砂漠や荒野、草原地帯の方が進みやすかったので、次第に東に進出していった。そうして、昔から住んでいた人達は追いやられたり、混じってしまったため、今では昔の習俗や習慣がすっかり廃れてしまっている。  遺跡から何かを発見するしか、昔のことを知る手がかりがほとんどない。一方、サリカタ王国では、今でも昔からの習慣や習俗を固く守っているという。その上、先住部族と思われる部族も未だに森に住んでいるらしい。  だから、サリカタ王国が研究者として、魅力的な土地に映っているのだ。 「そういえば、サリカタ王国でも歌劇は盛んよ。」  ブリオスとアマンディアは新婚旅行で、サリカタ王国に一年半ほども滞在した。その時に出会って、いろいろと手伝ったのがボイグとバーポだったらしい。 「サリカタ王国の歌劇は、とても面白いわよ。もちろん、ズトッス王国やこっちの歌劇も面白いわ。でも、古い物がずっと変わらずに上演されているの。五百年間、ほとんど変わらないというのだから、尊敬するわ。」  外ではそんなことを大っぴらには言えない。ズットス王国では、昔からサリカタ王国に攻め入っても勝てたことがほとんどなかったので、イルード人達の逆恨みで、サリカタ王国を極端に見下している。  だから、サリカタ王国に好感を持ったようなことを言うと、愛国心が足りないと言われて、いじめられる。愛国心がという割には、サリカタ王国に攻め入る時、なかなか攻めようとする勇者もいなかったのである。  それでも、国境付近では違う。実際に隣国なので接触はある。援助を頼むこともある。特に医療分野で援助を頼むと、行き来がある。国境付近に住む人達は、そういうことからズトッス王国での侮蔑(ぶべつ)意識に嫌気が差していた。  ボイグもそうだった。それに、国境に近いトスガでも侮蔑意識は低い方だ。だから、ここに店の拠点を構えているし、ダル家も首都から引っ越して来たのだ。もし、何かあったらすぐにサリカタ王国に引っ越して、研究ができるように。
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