第1章 夢だったもの

5/5
前へ
/19ページ
次へ
 天才家族達のやりとりを聞いていると、女中がティーザに来客だと伝えに来た。この家では女中を二人雇っている。二人が数日ずつ、交代で働いている。 「こんにちは、ダル博士、奥様、レイラ。ティーザがお世話になっています。」  入ってきたのはバーポだった。 「バーポさん、こんにちは。」  アマンディアが、にこやかにバーポを迎え入れた。 「ティーザ、久しぶりだね。なんやかんやで、結局、一ヶ月ほど会えなかった。元気そうで良かった。今日は君に渡す物と話があってきたんだ。」 「バーポさん、こんにちは。ずっと…いろいろとして下さってありがとうございます。」  ティーザが頭を下げると、バーポはため息をついた。 「なんか、随分、他人行儀だなぁ。」 「大丈夫ですよ。この年頃の女の子なんて、みんなこんなもんです。」 「…そうなんですか?だったら、うちの娘も将来そうなるのか。」  アマンディアとそんな話をしてから、バーポは紙袋をローテーブルの上に置いた。 「まずは話の方から。ボイグさんの保険金だけど、ひとまず無事に下りることになった。」 「ああ、それは良かった。」  ブリオスが安堵(あんど)の声を出した。 「本当にご心配をおかけしました。サリカタ王国の書類では信用ならないとか、ケチをつけてきてどうなることかと。ダル博士のおかげで、無事に通りました。ありがとうございました。」 「はっきり言って、私はあの書類を見て仰天したよ。一体、どうやったらあそこまで、科学的に分析できるのか。頭を打った状況から全て予測を立てて計算した上で、事故だったと結論を出している。もちろん、遺体の解剖もしている。ズトッス王国より(はる)かに科学的に分析されていた。ケチをつけるなど、嫌味としか言い様がない。」  ブリオスの言葉に、バーポはため息をついて眼鏡を押し上げた。 「本当です。色つきの写真一つさえ、(おどろ)きなのに。こっちでは写真といえば白黒ですよ。撮るのに時間もかかるし、ネガもガラス板だ。  それなのに、向こうは全く分からない仕組みで写真を撮る。しかも、外国に持っていこうにも、サリカタ王国外では使えないと来ている。以前、使えないから意味がないと言われたのにも関わらず、ボイグさんと二人、その色つきの写真機が欲しくて、大金をはたいて買って使ってみたことがあるんです。  サリカタ王国中の写真を撮りました。そして、帰ってからみんなを驚かせてやろうと思ったのに、持って帰っていざ現像しようと思ったら、どうやって現像したらいいのか全く分からなかった。  結局、また、サリカタ王国に持っていって、写真を現像して貰いました。写真機は、サリカタ王国に滞在する時だけ使うことにしました。でも、最近はその写真機でさえ、時代遅れになってきたんです。」  珍しくバーポが饒舌(じょうぜつ)だった。そして、サリカタ王国に行って帰って来るたびに、ボイグがたくさんの写真をアルバムにして帰ってくるのは、そういう理由があったからだったのだと初めて知った。  アルバムは全部家から持ってきた。倒産寸前だったので、資産の差し押さえがいつ入ってもおかしくなかったので…ズットス王国では役人の不正は普通で、平気で期限前でも資産の差し押さえがあったりする…ので、大急ぎでダル家に隠したのだ。幸いにして家を売ったかいがあり、なんとか会社の倒産は免れた。 「…それで、ティーザ、これなんだけどね、会社の荷物にまぎれていたんだ。ティーザというメモが布に挟まっていて、君のだからそのまま、中身の確認もせずに持ってきたんだ。」  バーポは言って、紙袋から布包みを出し、服のポケットからボイグの走り書きのメモを出して見せた。本当に走り書きだ。ちぎった紙に大急ぎという感じで書いてある。 「…検査はどうしたんですか?」  レイラがすかさず聞いた。外国からの荷物は全てに検査がある。 「…それは…まあ、いいことにしてくれないかな?」  バーポは苦笑いして、言葉を(にご)した。 「だから、すまないがティーザ、今、ここで一応確認させてくれ。何か言われた時、中身の説明ができるように。」 「分かりました。」  ティーザは頷くと、綺麗な模様が浮き出るような布地の、確かアリモ織りという布地の大きなショールをほどいた。 「…わあ、素敵ね。」  誰よりも最初にアマンディアが歓声を上げた。中から木箱が出てきた。美しい寄せ木細工の箱だ。丁寧に職人が作ったことを感じさせる。  箱を開けると、小さな天鵞絨(ビロード)の布地が張られた宝石箱が一つと、薄い桐箱に入った水晶石版が二枚入っていた。最初はガラスだと思った。何度かサリカタ王国特有の記録版だと見て知っていたから分かるが、そうでなければ、なんなのか全く分からないだろう。 「これは記録だな。何か重要な物に違いない。きっと、君に関するものだろう。」  バーポがすぐに言う。 「とても、綺麗。幾何学模様は何だろう。」  ティーザは宝石箱を手に取った。天鵞絨張りの宝石箱には、ビーズで刺繍(ししゅう)がされている。 「昔からのデザインよ。たぶん、サリカタ王国で森の子族と呼ばれている、先住民と思われる部族の伝統的な文様だと思う。たぶん、こっちは山で、こっちは雪のデザインのはず。」  すぐに民俗学博士のレイラが答えてくれた。箱を開けると蓋はバネ仕掛けになっていて、カチッと音がして空いた。 「…うわぁ。」  思わず女性陣から感嘆の声が上がった。美しくカットされ磨き抜かれた、小粒の卵くらいはある紫水晶の大粒のペンダントが入っていた。台座は銀だが少し古そうな感じもする。アンティークなんだろうか。 「!これは…。」  女性陣の頭の向こう側から、箱の中をのぞいたバーポが短く()らした。 「ごめん、ティーザ、それを見せてくれないかな?」  ティーザは仕方なく、それを箱ごとバーポに差し出した。 「はい。」 「ごめんよ。」  バーポは言いながら、指でペンダントをそっとつまみ上げると、ひっくり返して後ろを観察した。さらに、ポケットから折りたたみ式の虫眼鏡を出すと、何か台座に刻印されている字を読み取ろうとしていた。たぶん、虫眼鏡はサリカタ王国製だ。 「…やっぱり。やっぱり、そうだ。」  バーポは一人納得すると、虫眼鏡をしまい、ペンダントを戻してティーザに返した。 「ティーザ、これは君のお母さんの物だよ。」 「…え?…わ…わたしの…。」  思ってもみないことを言われて、ティーザは言葉に詰まった。もう、二度と母について知ることができなくなったと思っていた。 「わ…わたしのお母さんの…物、なの?」 「そうだ、間違いない。後ろの刻印はこれが作られた当時の工房の名前が入っている。少しずつデザインが変わっていて、いつの物か見当がつくんだ。サリカタ王国は、古い工房が多く残っているからね。これは君のお母さんが持っていた物に間違いない。」  つまり。つまり、バーポはティーザの母のことを知っているのだ。 「…ねえ。バーポさんは…わたしのお母さんのこと、知ってるの?知ってるなら、教えて…!わたし、お母さんのこと、知りたい…!」  ティーザが最近になく、熱い気持ちになって聞いたのに、バーポは残念そうな表情を浮かべた。 「…ごめんよ、ティーザ。知っているけれど、言えない。ボイグさんに固く誓わされたんだ。もし、自分に万一のことがあったら、ティーザに母親のことを聞かれると思うけれど、どんなに聞かれても答えないでくれって。  だから、私から詳しいことを勝手に言えない。生前から、ボイグさんはそんなことを言っていた。  それに、少なくともこの国に住んでいる限り、あまり口に出さない方がいいというのもあるだろう。だから、私はボイグさんとの約束を守りたいんだ。自分の死後も、君にお母さんのことを言わないで欲しいと思う、そのボイグさんの固い決心には、事情があるから。」  ティーザはうつむいた。 「……そんな。そんなひどいよ、父さま。なんで、なんで、教えてくれないの…!ずっと、疑問だったのに、一度も教えてくれなかった!」  父に対して、反感を持ったことがないティーザだったが、母のことを教えてくれないことに関しては、反感を持った。生前には一度も、母のことを教えてくれ、と強く父に聞いたことはない。死後に至るまで、隠そうとするのはなぜだろう。 「ティーザ。でも、ボイグさんはこれを残した。これを調べれば、必ず君のお母さんのことが分かるはずだ。」  バーポに言われて、ティーザは怒っている顔を上げた。 「どうやって、分かるの?水晶石版に記録が残っている!?」  ティーザは勢い込んで尋ねた。 「いいや。確かにその可能性もあるけれど、忘れてしまったかい?サリカタ王国では、宝石にも記録を残すことを。」  ティーザは、はっとした。幼い頃、父に聞く話で一番、好きだったのが、宝石に記録を残す話だったということを。 「…本当に、本当なんですか?」  話を聞くだけと、現実に自分に関わることとして存在するのとでは、実感がまるで違う。 「そうだよ。私はこれには、君のお母さんの一族についての記録が残されていると思う。先祖代々受け継いで来たのだろうから。その大切な物を、君のお母さんはボイグさんに託し、ボイグさんは君に託した。これは、君のお母さんに関する手がかりで、記録で、全てが分かると思う。」  バーポの説明に、ティーザは久しぶりに胸が(おど)った。子どもの頃、小さかった時はこんな風に胸をときめかせて、外国の話に耳を傾けていた。サリカタ王国の話はとても好きだった。なぜなのか、分かった。これを見る限り、ティーザの母はサリカタ王国の人なのだから。 「バーポさん、これ、先祖代々ってどれくらい昔の物なんですか?」  レイラが尋ねた。やはり学者はそんなことが気になるらしい。 「この工房の模様のデザインからして、およそ、三百年前の物かな。」 「!三百年…!」 「(すご)い、そんなに経っているようには、見えない。」  ティーザは母の品だという、箱の中のペンダントを見つめた。そっと、鎖をつまんで上に掲げると、窓の外から入った光で、キラキラと輝いて光りが透けて、幻想的に(きら)めく。家族の記録を宝石の中に閉じ込めてしまうなんて。なんて、素敵なことなんだろうと思ってしまう。どんなに目を()らしても、何か書いてあるようには見えないのに。  そして、子どもの頃の夢を思い出した。 『とうさま、ティーザね、ほうせきにかいてること、よめるひとになるー!』 『ははは、そうか。それは素敵だな。そうしたら、サリカタ王国に行って、弟子入りしないといけなくなるかなぁ。』  そんなことを、父のボイグと交わした会話を思い出した。涙が浮かんだ。頬を伝って流れていく。すっかり忘れていた、幼い頃の夢。成長してくれば、隣国との軋轢(あつれき)の歴史を知って、軽々しくそんなことを口にできなくなって、そして、そんな思いも気持ちも記憶も、全て隅に追いやって封印した。  忘れていた気持ちを思い出して、しばらくペンダントを見つめたまま、ティーザは泣いた。  
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加