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「ちょっと、お嬢さん方、二人だけで何やら内緒話をしているようだけど、こっちも説明して貰わないと困るのよ。」
アマンディアだった。
「年だからって、お母さんをないがしろにしないでくれる?」
「…ごめんなさい。」
「いいのよ、ティーザ。」
アマンディアはティーザには優しくしてくれる。
「で?」
しかし、娘のレイラには厳しい目でアマンディアは見つめる。
「で、って何よ?」
「入国審査官の方々にも、きちんとご説明申し上げないとだめでしょ?あんた、内容をごまかしてどうにかしようとか、思ってるわけ?」
アマンディアの発言に、ベイリスが口を開いた。
「あぁ、誤解のないように申し上げますが、私達は個人的な情報について、調べることはないんですよ。ただ、事件性のある事柄については、報告をする義務があります。」
事件性ですか、事件性がありますけど…!
「わたし達も個人的な情報を閲覧することになりますから、守秘義務があるんです。ただ、わたし達も事件性があることについては、報告しないといけませんが。」
リリンも言ってくれたが、ティーザもレイラも顔を見合わせた。
「どう考えても事件性がない?」
「…相談する?」
ティーザの言葉にレイラがすかさず言う。
「でも、事件性があって、ちゃんと捜査して貰えるかどうかなんて、分かんないわよ。うちの国じゃ、役人の不正なんて朝飯前じゃない。」
うちの国、ああそうだ。ズットス王国では役人は不正するものだ。賄賂を渡すのは当たり前のことなのだ。
「…どうする?渡す?…でも、父さまは割と何でもきちんとしてくれるって、言ってたけど。」
「…怪しいものよ。」
「お嬢さん方、説明しなさいって言ってるでしょ?まずは、お母さんに説明しなさい。それすらもできないの?」
こそこそやり取りしていると、アマンディアが厳しい顔で割り込んできた。口調こそ冗談めかしているが、半分本気で怒っている。
「…だって、お母さんに言ったって、何も分からないじゃないの。」
レイラが言うと、アマンディアは厳しい顔で娘の額を小突いた。
「これでも、一応、年長者なのよ。言ってみなさい。」
レイラは元女優の母に分かるわけがないと思っているようだが、ティーザは隠し通せるわけがないと思ったので、素直にアマンディアに状況を説明した。
「……そうね。」
アマンディアは考え込んだ。
「…ほら、どうせ、分かんないでしょ。」
レイラは頭がいいので、母を見下している節がある。
「お母さんを馬鹿にしないでくれる?あんた達が生まれる前、サリカタ王国に一年半も住んでいたのよ。」
アマンディアの言葉にレイラがはっとした。
「……ごめんなさい。」
ふう、とアマンディアがため息をついた。
「…レイラ。あんたの言うことは正しいと思うわ。たぶん、バーポさんはこういう状況になると踏んでいた。つまり、怪しいシャンズさんが動くと踏んでいる。それで、バーポさんがそのまま、シャンズさんが動くのを黙って見過ごしていると思うの?
もし、シャンズさんが疑いの通りだったのだとしたら、もちろん、シャンズさんが動いた時点でバーポさんも動くはずよ。ボイグさんは人が良くて非情になれない所もあったけれど、バーポさんは違うわ。シャンズさんが動いたら、そこで捕まえるつもりでしょう。」
確かにそうなのかもしれなかった。シャンズが何かすると分かっていて、バーポが黙っているとも思えない。
「じゃあ、わたし達は何をすればいいの?」
「普通に何もしなくていいの。ただ、この記録は二部ずつ印刷して貰いましょう。偽の記録なんかいらないわ。下手な小細工をすると、正式な証拠と認められない。一部は民警の事務所か、貸金庫に預けておけば安心よ。そして、一部をわたし達が持っておく。シャンズさんが接触してきたら、渡せばいい。」
「渡しちゃっていいの?」
「だって、まだ疑いだけで何か悪いことをしたという、決定的なことがないのよ。」
「でも、最後に証拠があるって。」
「それも印刷していないし、きちんと専門家が検証して初めて、悪い事かどうか分かるのよ。」
アマンディアの言葉にティーザはうなだれた。何かできると意気込んだのだ。それなのに、何もしなくていいだなんて。もしかしたら、父のボイグを殺したかもしれないのに。
「…でも、もしかしたら父さまを殺したかも…。」
「ティーザ。」
珍しくアマンディアが厳しい表情で、ティーザを見つめた。
「そんなことを軽々しく言ってはならないわ。事故だと認められている。主人もその資料に目を通していたけれど、とても科学的で事件性はおそらく認められないと言っていたわ。主人のそういう所は尊敬しているの。できるだけ、公正に厳しく見るから。」
そうだ。もし、事件だったら、これから、ティーザが生活していくための、保険金が差し止められてしまうだろう。父が最後に残してくれたティーザのためのお金だ。父が必死に稼いだ金をティーザは無駄に使っていた。保険金が惜しいのではない。ただ、父が命と引き換えにティーザにくれたお金だから、無駄にしたくなかった。
「…あのう、申し訳ないんですけど、わたし、もうじき次の仕事に行かなくてはいけないんです。もし、何か相談事があるなら、先にそちらの仕事に行ってもいいですか?」
リリンの申し出に、三人は顔を見合わせた。
「ちょっとお待ちください。」
アマンディアは言うと、二人に言った。
「いい?最後まで解読して頂いて、全部、二部ずつ印刷よ。」
そう言ってから、リリンに最後の部分も解読して欲しいと頼んだ。
「あれ、最後まで解読できていなかったですか?」
リリンの言葉に三人は顔を見合わせた。
「ここです。最後に記録すると書いてあるんですが、最後のページには何も書いてありません。」
レイラが説明すると、リリンはおや、という表情をした。
「もう一度、やってみます。」
リリンはさっきの二回と同じ手順を踏んで解除に挑んだが、考え込んだ。
「ごめんなさい。これは私には解除できません。この記録板にはいわば、鍵がかかっているんです。私達はその鍵を開ける技術を持っています。それが記録解読士の仕事です。解読と言っていますが、本当は解除の方が分かりやすいです。
ただ、この記録板は特殊で、鍵が二種類かかっています。普通の記録板でも鍵は二重になっていて、ですから、私は二回手続きを踏んだとなんとなく、お分かりかと思います。二重でも鍵は一種類なんです。でも、この記録板には鍵が二種類、しかも、最初の方は二重ですが、後の方はさらに何重かになっていて、私では開けられません。
特殊記録解読士でないとできないんです。ごめんなさい。私にはそこまでの技術がないので。」
リリンの言葉にティーザとレイラは落胆した。だが、確かにアマンディアの言うとおり、外国にいて事情も知らない所で何かしようと思っても、できないのだと実感する。まさか、解読できない状況になるとは、考えもしなかった。
「では、こちらのペンダントはどうでしょうか?」
アマンディアが小箱の蓋を開けて、リリンに紫水晶のペンダントを見せた。
「失礼します。」
リリンは手袋をはめると、懐のポケットから筒状の虫眼鏡のような物を出し、ペンダントを持って窓辺に立ち、光に照らした。じっと観察してから、きちんと元に戻すとため息をついた。
「申し訳ありません。このペンダントはとても古いので、わたしには解読できません。古い物も特殊記録解読士にお願いしないといけません。解除の仕方が古い物は異なり、古い物ほど壊れやすいので、とても技量がいります。わたしはその資格を持っていないので、できません。」
そう言って、本当に申し訳なさそうに頭を下げた。
「…そうなんですのね。分かりましたわ。無理を言ってごめんなさい。」
「いいえ、こちらこそ、せっかく来られたのに。でも、特殊記録解読士に連絡をしますから、ちょっと待って下さい。」
リリンはやはり、イヤリングを片手で押さえると、一人で話し始めた。
「すみません、こちらはリリン=ミイムです。特殊記録解読士のルダさんはいますか?……ええ。あぁ、お仕事中ですか?後、どれくらいで終わりそうですか?………ドゥリさんが奥さんのお産で家に帰ったから、全部ルダさんが…。じゃあ、一日中かかる…?一日で終わればいい方…?」
すると、ずっと黙って成り行きを見守っていたベイリスが、リリンに何か伝えて彼女は頷いた。
「分かりました。そうしましたら、民間の特殊記録解読士に頼みます。ありがとうございました。」
そう言ってイヤリングから指を離した。どう考えてもイヤリングは通信器具なのだろう。
「リリン、幸運なことにフェィジュにマーノ家の人が来ている。」
何やら自分の鞄から出した水晶石板のような機械を見ていたベイリスが、リリンに伝える。
「さすが官長。早いです。誰ですか?」
「ベンス・マーノだそうだ。」
「あぁ、それなら安心です。私より遙かに上手い人ですから。」
リリンはそう言って、室外に出るとしばらくして戻ってきた。
「お待たせしました。今、民間の特殊記録解読士に連絡を取ったので、彼の仕事が終わってから、こちらに伺うとのことです。その記録板の記録も二枚まとめて、彼に印刷して貰った方がいいと思います。
一枚ずつすると、かえって書類手続きが煩雑になり、時間がかかってしまいますから。先に一枚目をすると、二枚目の時にもう一度申請して、という手続きをしないといけなくて。」
よく分からないが面倒なようだ。
「そうして貰った方がいいですよ。」
今までずっと陰のように存在がなかったスビンが、口を開いた。
「その人が言うとおり、その方が手続きが簡単です。待っている間、時間の無駄だと思いがちですが、かえって時間がかかるんです。二枚まとめてですからね。特殊記録解読士に申請して貰った方がいい。」
別人のように落ち着いてスビンが言ったので、そうして貰うことにした。
「分かりました。それでは、そういうことでお願いします。」
ティーザがお願いすると、リリンは書類に何か書き込み、ティーザにサインを求めた。
「それでは、私は失礼します。」
リリンは機械を片付けると、丁寧に挨拶をして帰っていこうとした。
「あの、ちょっとお待ちを。わたし、民俗学を研究している者ですが、少しだけいいですか?お忙しい所すみません。」
「ええ、なんでしょうか?」
リリンが不思議そうにレイラを見つめた。
「その、お名前からしてサリカタ王国では、森の子族と呼ばれている人達で間違いないのですか?」
するとリリンが嬉しそうに、にっこりした。
「はい、そうですよ。私の一族は激しい戦闘部族として知られ、怖れられていた一族です。街に出た一族は、今ではそういうことをしませんが、森に住んでいる一族は、今でも討ち取った敵将をバラバラにするそうです。」
ティーザはびっくりして、柔和な笑顔を浮かべるリリンを見つめた。
「リリン、そういうことを話すと、怖がられるぞ。」
横からベイリスが口を出す。
「でも、本当のことですから。」
「じゃあ、やっぱりリタ族なんですね…!一番最後の名前を聞いた時、歌劇にも出て来る名前だったので、そうなのではないかと思ったんです。」
レイラの勢い込んだ言葉に、リリンはますます嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「よくご存じですね…!そうですよ。お時間があれば、一度、歌劇をご覧になることをおすすめします。」
「実はわたくし、歌劇のことは少し詳しいんです。ですから、知っています。夕陽色の髪シリーズの歌劇がとても面白いと。しかも、おおよそ五百年前から変わっていないという。」
「そうですよ。本当によくご存じですね。」
会話が一段落ついた所で、ベイリスが口を挟んだ。
「リリン、早く行かないと次の仕事があるだろう?」
注意されてリリンは、はっとする。
「ごめんなさい、お引き留めしてしまいまして。」
アマンディアとレイラが謝罪した。
「それでは。」
リリンは颯爽と去って行った。
「…可愛いのに格好いい女の子だったね。まだ若いのに、もう、こんな仕事に就いているんだ…。」
ティーザがなんとなく言うと、スビンとベイリスが、ん?という表情をした。二人で顔を見合わせる。
「…あのう、ティーザさん、レイラさんもダル先生の奥様も、もしかしてリリンさんが女性だと思ったんですか?」
スビンの発言に三人は顔を見合わせた。そして、住んでいた経験があるアマンディアが笑い出した。
「…まあ、そうだったのね。忘れていたわ……!」
お腹を抱えて笑っている。
「お母さん…?」
レイラが怪訝な表情を浮かべる。ティーザも同じだ。
「…リリンさんは男性です。サリカタ王国では男性も髪を伸ばす風習があるので、よく間違えてしまうんですよ。」
ピシッとティーザの中で何かがひび割れた。
「!えぇぇぇ!!」
レイラと二人で顔を見合わせながら、叫んでしまう。
「それに、彼は二十歳を過ぎています。リタ族は特に童顔なんです。」
更なるスビンの説明に二人は言葉を失って、目を丸くした。
(あの可愛さで男って…そんなぁぁ!)
完全にティーザは敗北である。髪は黒が強い焦げ茶に金色が混じっているような色合い、目は二重だが、リリンみたいに整ってアーモンド型ではないし、目は榛色でズトッス王国では美人に必要な、緑や黄緑、紫、青、水色といった色の目ではない。
北方のイルード大陸にかつてあったという、イルード王国では美人の要素は、金髪碧眼であり、珍しい緑や黄緑、紫も美人の要素に加わったという。昔の王妃達は美人が多く、伝説の王妃達は白磁のようなきめ細かい白い肌に、青や水色の目をしていた。
だから、イルード王国の流れを汲むと自負しているズトッス王国でも、美人の大切な要素は目の色であり、たとえ顔が整っていても、絶世の美女とは言われないのだ。ちなみにアマンディアは、亜麻色の髪に青い目をしている。レイラもそうだし、レイラの兄のマイリスもそうだ。
そういった要素を廃しても、リリンは整っていた。サリカタ王国に来たら、美人の基準が違うからちょっとは美人に入る可能性があるかも…という淡い期待を持っていたが、完全に砕け散った。
確かにボイグからも美男美女が多いと聞いていた。だが、忘れていたのだ。親は娘が可愛いから、お前も美人だよと言ってくれていたことを、どこか本気にしていた自分に気づいて、ティーザはちょっと落ち込んだ。
「な、名前も女性っぽい感じが……完全に騙された…。見抜けなかったなんて……!」
レイラは見抜けなかった方にショックを受けている。そんな娘達を見て、アマンディアはひたすら笑う。
「大丈夫ですよ。リリンは初対面の人には、ほぼ全ての人に女性だと思われてますから。中には数年気づかない人もいます。」
ベイリスがおかしそうにしながら、そんな説明をしてくれたが、そう言うベイリス自身もダンディなおじさんだ。制服もマントも決まっていて格好いい。ポニーテールでもおかしくない。剣を下げる古風な出で立ちでも、全く違和感がないのが不思議だ。
「…言っておいたでしょ。サリカタ王国には美男美女が多いって。」
アマンディアが楽しそうに悪戯っぽい表情を浮かべた。
「時間もあることだし、あんた達に美人講座でもしようかしらね。」
ふふふ、とアマンディアはニヤリと笑った。
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