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石野は言葉を失った晟一を心配そうに覗き込む。晟一は心臓をばくばく言わせながら、どうしよ、と小さな子どもみたいに一人で逡巡した。……どうしようもない…… だって石野さんの仕事やもん。そやけど、何でこんなに……泣きそうなんやろ?
週に3日か4日、朝に15分だけ話す相手。10くらい歳上の、先生でも友達でも親戚でもない人。俺、よう考えたら石野さんのこと何も知らん。家の最寄り駅、会社……旅行が好きなこと、くらいしか。何で口が利かれへんのかさえ知らんのに。
降りる駅が近づいた。晟一は慌てて網棚から鞄を降ろそうとして、電車の揺れによろめいた。右に立っていた石野が肩を抱いて支えてくれた。意外とがっちりした身体つきだとわかり、どきっとする。それが瞬時に胸の痛みに変わる。
晟一は鞄を抱きしめて、込み上げてきたものを堪えようとしたが、無理だった。熱い水が目から零れ出す。右斜め後ろで、石野が息を飲んだ気配がした。前に座るお姉さんも変な顔をしてこちらを見上げている。恥ずい、消えたい……扉が開き、晟一は俯いたまま、石野の腕から逃れた。
人の波に揉まれながら、電車から吐き出された晟一は、後ろから肘を掴まれて振り返った。石野が電車を降りてきていた。晟一は呆然とする。
「何してんの……」
かすれた声で言うと、彼は晟一をホームのベンチに連れて行き、座らせた。そして正面に立ち、右手の親指と人差し指で作った輪を眉間に当てて、それを解きながら顔の前で手を立てた。
「何で石野さんが謝んの……?」
晟一が震える声で言うと、石野は困ったように横を向いた。それを見ていると、余計に泣けた。晟一は鼻をすすり、手の甲で目を擦る。
石野は晟一の右に座り、さっきと同じように肩を抱いてくれた。やや人目が気になったが、少し寄り掛かってみると、荒ぶった感情が治まるような気がした。
「俺のほうこそごめんなさい……それと……いっつもありがとう」
晟一が言葉を振り絞ると、石野は空いている右手で頭を撫でてくれた。大きくて、優しい手だった……また新しい涙が出た。
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